「適当な「目」を入れてみましょー! そろそろクマのやつも冬眠から起き出してくるはずであるが、しばらくは「寝起き」か「半起き」の快よい気分ではないかと思われる。
あわわ、また明日から平日になってしまいました。社会と縁を切っているとはいえ、平日にはそのことを忘れた会社などから「はやく出勤してこい」「あれはどうなっている」などの連絡が無いとも限らないのでびびってしまいます。特に今週はかなりきつめの問題が起こるはずなんだよなあ。会社辞めているからいいものの・・・。
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北宋の初期、10世紀の終わりごろのことでございますが、翰林学士の梅詢が詔勅の原案作成というキツイしごとをしていて、かなり煮詰まってしまい、
「少し気分を転換せねばならん」
と散歩に出かけた。
宮門を出てしばらく行くと、
見老卒臥日。
老卒の日に臥せるを見る。
年取った警備員が日向に寝転んでいるのを見かけた。
「卒」は兵士ですが、軍事そのものより、門番やら作業やら肉体労働一般に使われることが多い。
梅詢はしばらく感心したように見ていて、やがて
歎曰暢哉。
歎じて曰く「暢なるかな」と。
ためいきをついて、「のんびりしているなあ」と言った。
そして、老卒に向かいまして、
徐問識字乎。
徐ろに問う、「字を識れるか」と。
こちらものんびりと、訊いた。
「おまえさん、読み書きはできるのかい?」
老卒こたえて曰く、
不識。
識らず。
「ぜんぜん、できませんですじゃ」
梅詢は頷いて言った、
更快活也。
更に快活なり。
「それなら、一段と楽しかろうなあ」
と。
「快活」というのは我が国では「たのしい性格」ですが、もともとは単に「たのしい」というぐらいの意味の俗語である。
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宋・沈括「夢渓筆談」より。おいらも会社辞めているからいいものの、辞めてなかったら煮詰まってしまうところでした。わははは。
ところで、こういう温雅な文人のエピソードを読むと「チャイナ文化はいいなあ」と単純に思ってしまうものです。おいらもそれでこの世界に入り込んでしまったクチですが、実際にはこの老卒はそんなに楽な生活しているわけでもないし、必要に迫られたらいくらでも人を裏切ることもできる、阿Qさんみたいなひとだと思われますね。一方、梅詢は対遼関係などの難局に対峙した優秀な官僚政治家で、甥っ子は有名な詩人・梅堯臣である。われらがおいそれと自己同一化できるレベルのひとではないのである。