変な風船状物体が飛んできているよし。おいらもそろそろ風に乗って消えていくさだめ・・・だ。
弱ってきました。花粉に反応してしまっているらしく、涙とかハナミズが出ます。気が弱くなってきた。もうダメだ。
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宋の時代、王安石の信任篤かった若い文人に袁世弼というひとがいて、まだ若いうちから、自ら「遯翁」(逃げじじい)と名乗っていた。
情感あふれる詩を多く作ったが、
臨死一篇尤佳。
臨死の一篇もっとも佳なり。
死に際に作った一篇の詩が、もっともよい。
曰く、
青靄千峯瞑、 青靄、千峯瞑(くら)く、
悲風万古呼。 悲風、万古に呼ぶ。
其誰掛宝剣、 それ、誰か宝剣を掛けて、
応有奠生芻。 まさに生芻を奠(まつ)ること有るべし。
青いもやに隠されて、山々のいただきは見えなくなった。
永遠の時空を超えて吹く風が悲しげである。
そうだ、誰かが宝玉を飾った剣を聖所に懸けて、
いけにえを捧げて神々を祀っているのだろう。
皓月東方隕、 皓月は東方に隕(お)ち、
長松夜壑枯。 長松は夜壑に枯る。
山泉吾所愛、 山泉、吾の愛するところ、
声到夜台無。 声の夜台に到るや無きや。
白く輝く月は東の空から(昇ることなく)落ちていき、
長く伸びた松は(本来は不老長寿のしるしであるのに)、夜の谷で枯れて行く。(死のときが来たのだ。)
山中の泉のせせらぐ音がわたしは好きだったが、
あの音は死者の国まで聞こえてくるだろうか―――?
確かにこんな陰影に富んだ詩は、同時代の誰にも作れなかった。
世弼は少年のころより
読書最苦、因爾臞瘠、没時纔三十四歳、自作墓銘。
読書最も苦しみ、爾(これ)に因りて臞瘠し、没時わずかに三十四歳、自ら墓銘を作れり。
苦悩しながら学問を続け、このためにひどく痩せてしまい、死んだときにはまだ三十四歳であった。自ら墓碑に刻む銘も作りおいていた、ということである。
残念ながらこの墓碑銘は伝わらない。
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宋・魏慶之編「詩人玉屑」巻十八より。魏慶之が、袁世弼の同時代人であった王直方と潘子真の、それぞれの「詩話」から抜き出してきた記述であるという。
若くして亡くなったひとの伝記は胸を打つものである。ことにどんどん弱ってきている今日このごろは、
「彼らに比べて肝冷斎や半冷斎の、なんと長くこの世に居過ぎていることだろうか」
というひとびとの謗りが聞こえる(ような気がしてきました)。おいら、心はコドモのまま成長してないのになあ・・・。