「腹が減ったままぶたいくさはできぬでぶー」ぶた武士たちは途方もないほど無駄飯を食う。
また一週間が始まるとか。みなさん大変ですね。おいらはもう会社行かなくていい方法考えたので大丈夫ですけど。
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宋の時代のこと、蜀の地で、新しい太守さまがお見えになったというので、お寺で大会(だいえ)が行われたことがありました。僧侶がたくさん集まってお経を唱えまして、悪い気を祓おうというのでございます。
民衆もこのお経を少しでも聞くことができれば、自分たちの悪業を清めることもできる、というので、たいへんな人出で、
百戯在庭。
百戯庭に在り。
お寺の前庭では、いろんな見世物が出た。
その中で、
有十歳童児舞於竿杪。
十歳童児の竿杪に舞う有り。
十歳ぐらいのコドモが、竿の先で舞う、というのがございました。
見物衆はどきどきし、手に汗握って観ておりましたが、コドモは見事に舞いおさめ、みなほっとするやら感心するやらで大いに拍手・・・とそのとき、
忽有一物状雕鶚、掠之而去。
たちまち一物の雕鶚のごとき有りて、これを掠して去れり。
突然、空のかなたから、一羽の巨大な鷲のようなものが飛んできて、このコドモをひっつかまえると、飛び去って行ってしまったのであった。
「わーん、助けてくだちゃーい、ちゃーい、ちゃーい・・・・」
というコドモの声がだんだん遠く、雲間に消えていき、
郡衆大駭、因罷楽。
郡衆大いに駭(おどろ)き、因りて楽を罷む。
一郡の民衆みなたいへんびっくりして、このために騒がしい音楽もすべて止んでしまったのでございます。
コドモは行方不明になりました――――
・・・・・・・・・・・・・・・・数日後のこと。
お寺の高い塔の一番上の階に、コドモがいるのが見つかりました。ひとびとまた集まってきて、わいわいと大騒ぎになったが、この塔、(日本の五重塔と同じで)中に階段が無い。
若い衆らが総出になって、
梯而取之。
梯してこれを取る。
塔の上までハシゴをかけて、コドモを保護した。
下ろされてきたとき、
児神形如痴。
児、神形痴なるが如し。
コドモは、心神喪失してぽかんとしていた。
しばらくは何を聞いても反応しなかったが、やがて話し出したことには、
見如壁書飛天夜叉者将入塔中去。飼果実飲食之味、亦不知其所自。
壁書の飛天夜叉の如き者に、塔中に将き入れ去らる。果を飼いて飲食の味を実たすも、またそのよるところを知らず。
「お寺の壁画にある「空飛ぶヤクサさま」そっくりのやつに、この塔の中に放り込まれたのでちゅ。木の実を持って来てくれて、これで食べ物飲み物の代わりにしていたのでちゅが、これをどこから持って来てくれたのか、まったくわかりませんでちたー」
とのこと。
それでもしばらくは「ぷぴー」と叫んでぽかんとしたり、突然「うっしっし」と笑い出したり、落ち着きがなかったが、
旬日、方静神如初。
旬日にしてまさに神を静むること初めの如し。
十日ほどで心も落ち着き、もとのように戻った。
のでございました。
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宋・佚名「鬼董」巻第一より。
我が国の「天狗隠し伝説」に該当する類話ですが、おいらもこれに乗じて天狗だか仏教説話のヤクサ(夜叉)だかに、どこかにさらわれたことにしまして、明日から会社に行かないことにしました。我ながらうまく考えたものだなあ。
会社のおエラがたたちは
「そんな途方もないことがあるものか」
と怒るかも知れませんが、
そういう、途方もないことが、実に人間の歴史の実体であるかもしれないのだ。人間は、たとえば通り一遍のユマニスムなどというものよりも、ずっとずっと不気味なものであるらしいのだ。―――堀田善衛「美しきもの見し人は」より。
なのでございます。