10年ぐらい前までは彼らは節分の主役としてマメを与えられていた。しかし柳田國男のちょっとした記述に目を付けたコンビニ?関係者の仕掛けで、恵方巻全盛となったゲンダイでは、マメさえも与えられない日蔭者となったのである。まことに社会の移ろいゆくのは速いのである。
明日は立春ですから、やっと春になります。なのに、再明後日はもう月曜日。やっと来た週末だが、あっという間にまた平日になってしまうのだ。
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今有三人焉。一人勇、一人勇怯半、一人怯。
今、三人有り。一人は勇、一人は勇と怯と半ばし、一人は怯。
ここに三人のおとこがいたとします。一人は勇気があり、一人は勇気もあるが弱虫でもある、もう一人は弱虫である。
さらに、
有与之臨乎深谷。
これと深谷に臨むあり。
もう一人のひと(仮にあなたであるとしましょう)が、彼らとともに、深い谷をのぞき込むような場所にやってきたとします。
この谷には橋が無い。しかし、飛び越えて飛び越えられない幅ではない。しかし、足を踏み外したら千尋の谷に落ちてしまう。
そこで、あなたは三人に向かって言った。
能跳而越此、謂之勇。不然、為怯。
よく跳びてこれを越ゆる、これを勇と謂わん。然らざれば怯と為さん。
「この谷を飛び越えることのできるやつは勇気のある人である。飛び越えられないやつは弱虫と云わざるをえまい」
すると、
彼勇者恥怯、必跳而越焉。
かの勇者は怯たるを恥じて、必ず跳びて越えん。
三人のうち勇気のあるやつは、弱虫だといわれるのが恥ずかしいから、必ず飛び越えることであろう。
しかし、勇気と弱虫の半ばするやつと弱虫は飛び越えようとしないであろう。
次に、
跳而越者、与千金。
跳びて越ゆる者は千金を与えん。
「飛び越えたら、黄金千枚がもらえるよ」
と言ったとしますと、
彼勇怯半者奔利、必跳而越焉。
かの勇怯半ばする者、利に奔り、必ず跳びて越えん。
勇気と弱虫の半ばするやつは、お金に魅かれて、必ず飛び越えることであろう。
弱虫なやつはこれでもまだ跳ばない。
と、そこへ、何やら背後から唸り声が聞こえてきた。
「な、なんでしょうね」
須臾顧見猛虎暴然向逼、則怯者不待告跳而越之。
須臾にして顧り見て猛虎の暴然として向い逼るを見ば、すなわち怯者告ぐるを待たずして跳びてこれを越えん。
振り向いて見て、猛虎が大あばれしながらこちらに歩いてくるのが目に入ったなら、「うひゃあ」と、弱虫だってただちに、誰も何も言わなくても、谷を跳び越えることであろう。
とすれば、勇気があるとか弱虫だとかでひとの行動に差があるわけではない。要するに、そのときの「状況」で飛び越えるかどうかが決まってくるだけなのである。
臣下が君主を諫める、という行動をとれるかどうか、もこれと同じなのだ。
性忠義、不悦賞、不畏罪者、勇者也。故無不諫焉。
性忠義にして、賞を悦ばず、罪を畏れざる者は勇者なり。故に諫めざる無し。
性質が忠義で、賞をもらいたいとも思わず、罰を畏れもしない者は勇気ある者である。このひとは必ず諫言するであろう。
このほかに、賞をもらえれば諫言するひと、罰を与えられなければ諫言しないひと、がいる。
古代、夏・殷・周の時代には、諫言をすれば賞が与えられ、しなければ罰が与えられたのであるが、ゲンダイ(宋の時代である)では、諫言したことに対する賞が出ることはときおりある。しかし、諫言しない者に罰が与えられる、ということは無い。
そこで提言しよう。
苟増其所有、有其所無、則諛者直、佞者忠。況忠直者乎。誠如是、欲聞讜言而不得、吾不信也。
いやしくもその有るところを増し、その無きところを有らしめば、すなわち諛者は直に、佞者は忠ならん。いわんや忠直なる者をや。誠にかくのごとくにして、讜言(とうげん)を聞かんと欲すれども得ず、とは吾信ぜざるなり。
その有るところ(すなわち諫言への賞)を増す。その無いところ(すなわち諫言しないことへの罰)を作る。こうすれば、阿諛する者も直言するようになり、佞言を言う者も真心を持って語るようになるであろう。もともと真心があって直言する者はもちろんである。ほんとうにこのようになったなら、「正直な諫言を聴きたいものだがなかなか聴けないなあ」などということはありえないのである。
よって、諫言への賞罰を明定すべきなのであります。
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宋・蘇洵「諫論・下」(「唐宋八大家文」巻十六所収)。蘇洵、字・明允は四川眉県のひと、蘇軾、蘇轍の親父である。
今の感覚だとなんだかゆったりしすぎているように思えますが、むかしはこれでたいへん説得力のある文章だ、と思われていたんです。こんなスピードだとあっという間に一週間が終わって週末になれたかも知れないが、ゲンダイでは一週間を生き抜いて週末を迎えるのは、なかなかたいへんなのである。