「そろそろ春が近いでくま?」とクマが起きてくると暴力ふるってめんどくさいので、まだ冬である。
南関東も今日は一段と寒いです。
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がまんできません。寒い寒い、寒いよ〜。
ということで早く布団に入って寝ます―――
と思ったところが、
鉄作衾裯冰作枕。 鉄は衾裯と作り、冰は枕と作る。
天意蕭条也学人情冷。 天意は蕭条としてまた学びしや、人情の冷なるを。
薄酒三盃容易醒、 薄酒三盃、容易に醒め、
轆轤万事心頭滾。 轆轤のごとく万事心頭に滾(ほとば)しる。
鉄がかけぶとんになったのか、氷が枕となったのか(、と疑うほどに布団も冷たいんです)。
大自然の心が冷え切ってしまっているんです。まるで人間の情けの冷たいのを学んだかのようだ。
薄い酒を三杯飲んだが、すぐに醒めてしまって寝酒にもならぬ、
ろくろがぐるぐる回(って陶器や木器の形をつく)るように、おいらの心からいろんな心配事が現れて来る。
人間がいちばん冷たいんだなあ。
数尽銅壺玉漏永。 しばしば銅壺を尽くし、玉漏永し。
茅舎荒鷄啼断陽関引。 茅舎の荒鷄、啼きて「陽関」の引(うた)を断つ。
涙点双眸開炯炯、 涙は双眸に点じ、開きて炯炯たり、
紙窗浸破霜花影。 紙窗浸し破れん、霜花の影に。
(水時計の水をためる)銅の壺は何度も空になったようで、玉製の水時計(「漏刻」)の示す夜の時間も長くなった。(もう夜明けが近いのだ。)
かやぶきのこの家では、すさんだニワトリが啼き、別れを惜しむ「陽関」のうたも中断させられた。
涙は両目いっぱいになって、でも目は眠れずに開いたままで、
窗の紙障子は(涙で)濡れて破れてしまうかも。霜が花のように降りている、その形に―――。
「陽関のうた」は王維の「西のかた陽関を出でなば故人莫からん」のあれです。それを歌おうにももう夜は終わったのだ。
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西堂老人・尤侗の「寒夜、胡蝶恋」(寒い夜。「胡蝶恋」の節で)(「百末詞」所収)
天意蕭条としてまた人情の冷なるを学ぶ。
は名句である。
尤侗は江南・長州のひと、萬暦四十六年(1618)〜康熙四十三年(1704)。かなり長寿ですね。清初の大学者・大詩人・脚本家ですが、順治戌子年(1648)、清朝が最初に行った科挙試験で官吏に採用されたひとなので、両朝に仕えるという道義的問題で責められることがなかったのでよかった。
若いころに作った詞が老年になったころ宮廷でも歌われるようになり、その作者が尤侗であることを知った康熙帝から
真才子老名士(真の才子は老いて名士たり)。
と称賛され、天下の羨慕するところなった、云々という。「百末詞」は彼の詞集。香港太平書局1963印行「清名家詞」一より。