アンコウくんでさえ心を入れ替えて善意の行動をしているというのに、肝冷斎は・・・。
第二期怪死!!!
ではなく開始。
第一期最後の肝冷斎が南海に沈み、これでみんないなくなってしまいました。誰かが肝冷斎たちに「がんばれ」「期待している」「君ならできる」などの温かいコトバをかけてやっていれば・・・と悔やまれますが、今日からはわたしども第二期肝冷斎グループが引き継ぐこととなりました。みなさんが第一期に見せたような冷たい仕打ちの無いように、よろしくお願いします。
とりあえずは第一期と同様に5人ほどで分担してやっていきたいと思っております。
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明の時代、浙江・松江の町の西寄りの横丁に董仲頫(とう・ちゅうふ)という人が住んでおりました。無口でマジメな男であったそうです。
さて、成化丙午の年(1486)の八月二十一日のこと、
天宇澄霽皎無繊雲。
天宇澄霽にして皎として繊雲無し。
空は澄み、晴れ渡って明るく、雲ひとつなかった。
その空の一画に
「な、なんだ、あれは!」
なにやら奇妙なものが浮かんでいた。
衆見空中有小船従東而西、又転東、堕仲頫楼上。
衆、空中に小船有りて、東より西し、また東に転じ、仲頫の楼上に落つるを見たり。
ひとびとが空を見上げて見つけたのは、小さなおもちゃのような舟であった。それが東から西にふわふわと進んで行き、そこで少し東に戻って、ちょうど董仲頫の家の二階の屋根の上に落ちたのだ。
「あそこに落ちたぞ」
観者塞道細視之、乃茭草所縛者。
観者道を塞ぎてこれを細視するに、すなわち茭草の縛するところのものなり。
見物人がわんさか押しかけて、董仲頫の家の前の路次は人が通れぬぐらいいっぱいになった。みなでじろじろ見ると、その舟は藁を縛って作ったものであった。
「いったい誰が飛ばしたのだ?」
「どういうことでここに落ちたのか?」
「天変地異か、兵乱の兆しか、あわわわ」
とみな妖異のしわざとおそれおののいた。
仲頫方患耳聵。亦不大驚、但曰、此船来載我耳。
仲頫まさに耳聵を患う。また大いに驚かず、ただ曰く「この船、我を載するのみならん」と。
董仲頫は耳鳴りがひどくて寝付いていたのだが、このことを人に教えられてもあまり驚かなかった。そして、静かに言うには、
「あまり騒ぐ必要はない。この船はわしを載せに来ただけじゃろうから」
と。
不久果卒。
久しからずして果たして卒す。
しばらくして、果たして、仲頫は亡くなったのであった。
その後、特に天変地異に類することは起こっていない。
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ああいかにもわれら肝冷斎の未来を占うような物語でございます。第一回からはやくも不吉な物語を語ってしまいました。肝冷斎一派は、性格的に歪んでいるので、お話が暗いのです。
しかも会社からは「第一期が終わった?どうでもいいから出勤してこい」とまったく理解の無い電話が来る始末。まだ月曜日でございます。第二期もまたうつうつとどんより暗いスタンスで始まったのでございます。