タコ働きを経験するとニンゲンの幅が広がるカモ。生きて帰ってこれれば・・・。
今日から毎日、くじ引きで出勤者を決めることとなった。今日は十二指腸冷斎が当たったらしく「ぴーーーーーー」と泣きながら出かけていきましたが、夜になって、
「おれだって・・・、おれだってなあ・・・」
と居酒屋でとぐろを巻いているところを発見されて、長老たちに連れ帰されてきました。たった一日でこんなにやられるとは。
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まあまあ。この世に中には楽しい日もあるもんでございますぞ。
明の時代のことですが、嘉興府の西門、三塔寺前では
旧有漁船十余隻停泊其下。
旧(もと)、漁船十余隻のその下に停泊する有り。
以前は十余隻の漁船が、川べりに停泊していたものである。
これらの船には船上生活者が住んでいた。
有一漁翁与其媼、並八十多歳人、捕魚為業。
一漁翁とその媼、並びに八十多歳の人、魚を捕りて業と為せり。
その中に、夫婦ものの漁師のじいさんとばあさんがおりまして、どちらも八十いくつということであったが、魚を捕って暮らしておりましたんじゃ。
ある年の暮れ、除夜の夜のこと、じいさんとばあさんは、
沽酒烹魚、召諸子孫列坐船頭、共飲為楽。
酒を沽(か)い魚を烹、諸子孫を召して船頭に列坐せしめ、ともに飲みて楽しみを為せり。
酒を買ってきて、捕らえた魚を煮て、子供や孫たちを呼んで舟の先の方から順に座らせ、ともに酒を飲んで楽しい宴を開いた。
やがて夜も更け、酒も尽きてまいりました。
するとじいさんは言った。
阿婆、我今夜好帰去也。
阿婆(あば)、我、今夜よく帰り去らん。
「ばあさんや、わしは今夜、キモチよく帰ろうと思うんじゃ」
じいさん、船上で生活しているあんたが、ここを離れてどこに帰るのか―――と問う前に、じじいは
言訖、泊然而化。
言訖(おわ)りて、泊然として化せり。
話し終わるとただちに、もうすっぱりと死んでしまっていた。
老媼随応之曰、老漢慢走、待吾同行。
老媼これに随応して曰く、「老漢慢走せよ、吾を待ちて同行せん」と。
ばばあ、これにすぐ答えていう、
「おいぼれめ、ゆっくり行かんかい。わしを待ちなされ。いっしょに行きましょうぞ」
ばばあも、
須臾瞑目、亦坐亡矣。
須臾瞑目して、また坐亡せり。
あっという間に目を閉じて、やはり座ったまま死んでしまった。
「うわーん」
感動しました。
明日子孫尽鬻其漁具、得銭数百貫。
明日、子孫ことごとくその漁具を鬻ぎ、銭数百貫を得たり。
次の日、子供や孫たちは、漁具を全部売り払って、数百貫の銭に換えた。
これを以て三塔寺に依頼して、七日七晩にわたって二人の過去の罪障を除く法会を行い、自分たちも
折竿裂網、棄業改行。
竿を折り網を裂き、業を棄てて行いを改む。
釣り竿を折り、漁網を裂いてしまって、漁業を止め、生き方を改めた。
船上生活を止めて、殺生をしなくてもいい農業や商業にシゴトを換えたのであった。
こうして、三塔寺の前に停泊していた船は、今は一隻もいなくなったんじゃよ。
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明・銭希言「獪園」第五より。今日死んでしまった方がいいのカモ、と思う日は時々ありますよね。しかも今日は楽しいのに、明日シゴトのきついのがある、という日は特にあぶないといえよう。