「聴いておくれよ絶望のうた〜」「あはは」「これ、ちゃいこう」
通風に苦しむ足冷斎でございまちゅ。今や一族の中でおいらだけが社会と関係を持っている状態。はやくおいらも社会と絶縁ちたいなあ。
・・・・・・・・・・・・・・
本日はなんと、昔お仕えしたエライひとたちの宴席があり、ご相伴に与かる。今現在の社会とは関係を絶ちたいところですが、昔のことは懐かしいものでございますから、ついお言葉に甘えてしまいました。自分なんかがこんなところにご相伴に与かってはいかんのだろうなあ、と思いながらも少しお酒を飲んでしまい、いい気になってなんかエラそうなことしゃべってしまう。ドラフトの話まで・・・。帰りの地下鉄で酔いが醒めて、恥ずかしくなってまいりまちたー。
・・・そこで、コドモになって現実逃避中なのでちゅ。
紀元前5世紀のことでございますが、
陳子禽謂子貢曰、子為恭也。
陳子禽の子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり」と。
陳子禽というひと、孔子の弟子の中でも有能なので名高い子貢に対して、言った。
「あなたは、へりくだりすぎですよ」
どういうことかな?
仲尼豈賢於子乎。
仲尼あに子に賢(まさ)らんや。
「仲尼さん(←孔子を字で呼んだ)だってあなたほどの賢者ではないのではないですか?」
なんと。
目の前で持ち上げてきました。
「ほほう、きみ、わかっとるね」
とにやついてしまう・・・などという失態は、さすがにいたしません。
子貢曰、君子一言以爲知、一言以爲不知。言不可不慎也。
子貢曰く、「君子は一言以て知とせられ、一言以て不知をせらる。言は慎かざるべからざるなり」と。
子貢は渋い顔で言った。
「きみ。おとなというものは、その発するコトバ一つで「よくわかったやつ」とされたり、コトバ一つで「なにもわからぬやつ」とされるものなのだ。コトバというものを発するには慎重でなければなりませんぞ」
どひゃあ。
これはそのとおりです。しかし発してしまったコトバはもう取り戻せません。恥ずかしくて消えてしまいたいものである。
と、わたしなどはもう傷ついてしまったのに、陳子禽は「はあ?」みたいにとぼけていたのでしょうか、子貢はさらに続けた。
夫子之不可及也、猶天之不可階而升也。
夫子の及ぶべからざるや、天の階して升るべからざるがごときなり。
「孔先生の境地にまで届くものか。天にはしごをかけても昇れないでしょう、そのようなもので、普通のひとがあの境地まで行けるようなものではないのだ」
おまえは孔先生の偉さを理解していない、ということを一言のもとに明らかにしてしまったのだ。
「先生、もう勘弁してくださいよ、ああもうわかりましたから!」
と言いたいところですが、子貢さまはさらに容赦なく、
夫子之得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯来、動之斯和、其生也栄、其死也哀。如之何其可及也。
夫子の邦家を得れば、いわゆる「これを立てんとすればここに立ち、これを道びけばここに行われ、これを綏(やす)んずればここに来たり、これを動かせばここに和(やわ)らぎ、その生くるや栄え、その死するや哀(かな)しまる」なり。これを如何にしてそれ及ぶべけんや。
「孔先生がもし邦国を指導するような地位にお就きになったならば、一般にいわれるような理想的な政治をなさったであろう。すなわち、
何かの方針を確立しようとすればすぐに確立される。何かの方向に導けばそれはただちに実現される。平和を築こうとすればすぐに各国から平和の使者が集まってくる。何か運動を起こせば人民たちは和やかにそれに従う。生きている間はひとびとはそのひとをほめたたえ、亡くなったときにはみながそのひとを悼んで悲しむ」
というふうに。そんなお方の境地にどうやって行くことができようぞ」
わーい、そんなところまで行けませんよね。
そんなすごいひとより目の前の子貢さんの方がごりっぱでございまする、と言ってしまったのである。孔子の力量を見抜けなかっただけでなく、子貢の識見をも見くびったのである。本当に情けないことでありまちゅなあ。
・・・・・・・・・・・・・・
「論語」子張第十九より。
こんな感じの失態を仕出かしたのである。コドモのふりしてごまかすしかないでちょうなあ。えらい人から三冊本借りてきたからこの本でも読みながら、この先の身の処し方を考えようかなあ。