浅い眠りでは「秋のハニワ祭り」のような変な夢を見てしまうかも知れない。
やっと週末でちゅう! だが、明後日はもう日曜の夜。二日間夢でも食いにどこかに旅でもするか・・・。
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紀元前12世紀のある日のことでございます。
文王謂武王曰、女何夢矣。
文王、武王に謂いて曰く、「女(なんじ)、何の夢むところぞ」。
周の文王が息子の武王に向かって、言った。「おまえは最近何か夢を見たかな?」
武王は答えて申しました、
「そうでございますな、最近、
夢帝与我九齢。
帝の我に九齢を与うと夢みたり。
天帝がわたくしに「九つの齢」を下さる、という夢をみましてございます」
「ほほう」
女以爲何也。
女、以て何(いか)んと為すや。
「おまえは、その夢をどう解くかな」
武王はお答えした、
西方有九国焉。君王其終撫諸。
西方に九国有り。君王、それついにこれを撫せんか。
「(「齢」は「歯」のことですから)我が国の西には(歯のように並んだ)九つの国がございます。いつか父君がこれらの国を支配することになる、と解きました」
非也。
非ざるなり。
「それは間違いじゃな」
文王は即座に否定した。
「わしがおまえの夢を解いてやろう。
古者謂年齢、歯亦齢也。我百爾九十、吾与爾三焉。
いにしえは年を謂いて齢と謂い、歯もまた齢なり。我は百、爾(なんじ)は九十なれば、吾は爾に三を与えん。
古代には、一年のことを「一齢」といったのだ。歯のことはそれから派生して「齢」というようになったのだ。つまり「九齢」とは「九」の年齢ということである。父であるわしの寿命は百歳あるとされているが、天帝はおまえには九十歳まで与えようということである。わしはさらに自分の寿命から三年をお前に与えよう」
そのコトバのとおり、
文王九十七乃終、武王九十三而終。
文王九十七にしてすなわち終わり、武王は九十三にして終われり。
文王は九十七歳にして亡くなり、武王は九十三で亡くなられたのである。
へー。文王さまは、ウルトラマンに二つの命のうちの一つを与えたゾフィーみたいなことができたんだ。※
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「礼記」文王世子第八より。夢を見たら、どんな夢を見たかおやじに説明しなければならず、その夢の意義を即座に説明せねばならないとは、古代のひとは週末になっても、夢もおちおち見れなかったのである。
なお、もちろんこの卒年自体が伝説でしかないのですが、後世の儒者たちはこの※のようなオロカな考え方をするやつには苦労したらしく、文王がいかに聖人であったとしてもそんなことができるはずがないが、聖人なので武王の健康状態を見れば何歳まで生きるかぐらいは予測できたので、そのうち三年を大切するように教えたのだ、とかいろいろ説明しております。