「ふくろう君、きみもかなりの悪だ。高級ハマキでも喫いたまえ」「おいらは悪とはいえ健康志向が強いので禁煙なのでホウ」「がっかり」
月曜日終わった。が、今週はここで力尽きた。明日からもう会社行かない・・・いや、ほんとうに行けない。
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チャイナに扶乩(ふけい。フ―チー)という占いがあります。だいたい我が国の「コックリさん」に似て、神霊を呼び、複数人の自動書記(複数人で保持した筆や棒で紙や灰の上に文字を書く)によってそのお告げを得る、という占法で、文字を媒介することから、知識人たちの「戯れ」としてもよく行われたものなのだそうです。
清の時代のことでございますが、楊万禄というひとが友人たちとともに、この扶乩を行った。
やってきた神霊は「自分は詩詞・書画にきわめて詳しく、多くの前人の芸術を学んできた、みなさんにも風雅の面から教えられることも多かろう」と自己紹介した。
その日、ちょうど一人、客人が遠くから至ったところであったので、
「この客人に何か一言お願いできますか」
と頼むと、
ぶぶぶぶ・・・・
数人で持っていた筆が動いて、文字を書き始める。
途中得無口渇。諸生餉我武夷茗、大美。曷試先嘗。
途中、口渇の無きを得んや。諸生我に武夷の茗を餉するに大いに美なり。なんぞ先嘗を試みん。
遠くからお見えになられて、ずいぶんのどがお渇きになったのではありませんかな。ここのみなさんはわたしに武夷茶を煮てくれたが、いただいたところたいへん美味しうござった。あなたも一服いただけば如何かな。
そこでみんな気をよくして、お茶を一服立てて客人に飲ませた。
客人、これを一息に飲み干して、
不若涼水一巨甌。
涼水の一巨甌に若かず。
「(一口で終わってしまった。)冷たい水をでかい瓶にたっぷりいただいた方がよろしかったなあ」
とぶしつけに言ったところ、
ぶ・・・・
乩不動。
乩、動かず。
占いの筆は、少しも反応しなかった。
少し気分を害したみたいである。
しばらくしてからまた動き出した。
ぶぶぶぶ・・・・
我平生最愛古人枯木竹石、今久不作矣。
我平生最も古人の枯木竹石を愛するに、今久しく作らず。
わたしは以前、いにしえのひとの枯木竹や石の画が大好きで、ずいぶん練習したのだが、最近はちっとも描いていない。
久しぶりで描いて諸君らに見てもらおうと思う、と言い出して、(複数人の保持した筆で)絵を描き始めた。
これがなんとも素晴らしい枯れ果てた木や竹、ごつごつした石の画になったのである。
みんな「すばらしい」と称賛したが、客人だけは
竹木到枯、焼無火力。石塊崚曾、塩韲亦不堪圧。真且廃物、画更何益。
竹木枯に到れば焼くも火力無し。石塊崚曾ならば、塩韲(えんさい)もまた圧(おさ)うるに堪えず。真にまさに廃物、画くも更に何の益かあらん。
「(ここに描かれたように)竹や木も枯れきってしまうと、火をつけても燃える力はない。石くれもあまりにごつごつしすぎていると、塩漬けものを押さえる漬物石にもなりはしない。こんなまったくの役立たずのもの、絵に描いたっていいことがあるのか」
と批判した。
それを聞くと、
ぶぶぶぶ・・・・
乩大書、頽気。而寂。
乩、「頽気」と大書す。而して寂たり。
占いの筆は、「がっかり」と大きく書いて、それからぴたりと動かなくなってしまった。
さすがに神霊も嫌気がさしたものと見える。
―――さてさて、神霊もあきれたのかも知れないが、
然世間頽気正復不少。
然るに世間に頽気まさにまた少なからず。
けれど、世間には、「がっかり」することは数多い。
わたしの知り合いの鳥好きの読書人が、朝廷の高級官僚にお目通りしたことがあった。
その官僚が言うには、
聞君頗蓄鵓鴿。想有同癖。
聞く、君すこぶる鵓鴿(ぼっこ)を蓄うると。想うに同癖有らん。
「あなたはハトをたくさん飼っておられると聞く。どうやらわたしと同じ嗜好をお持ちのようだな」
そこで読書人、お気に入りの美しいハトのつがいを贈り物にした。
しばらくしてまた面会したとき、ぶしつけだと思いながらもあのハトのつがいがどうしているか気になって、
前奉玉鴿、能邀賞鑑否。
前(さき)に奉るところの玉鴿、よく賞鑑を邀(むか)うるや否や。
「この間お届けしましたハト、先生のお気に入ってはいただけましたでしょうか」
と訊いてみたところ、官僚は微笑しながら、
不過常味。
常味に過ぎず。
「ふつうの味でしたな」
と答えた。けだし、その官僚の「同じ嗜好」というのは食べものとしての嗜好であった、ということだ。
また、あるひと、代々伝わってきた硯を贈り物にして、
此端州極古老坑、家蔵五世矣。頗潤澤、嘘気成水、足以磨墨。
これ端州の極めて古老の坑よりして、家に蔵すること五世なり。すこぶる潤沢にして気を嘘するに水を成し、以て墨を磨るに足る。
「この硯は、硯石の名産地・端州の中でも、もっとも古代から掘られている石切り場で発見されたすごいモノで、我が家では五代にわたって家宝として大切にしてまいりました。あまりにうるおいを含んでいるので、息を吹きかけただけで水がにじみ出てまいり、その水で十分に墨を磨ることができるほどなのでございます」
と申し上げた。
すると、相手は
販得一石水、不値三文。
一石の水を販得するも三文に値せず。
180リットルの水を買ったって、水の値段なんてたかが知れておりますから、300円ぐらいにしかなりませんぞ。
「墨を磨るのに必要な水なんてタカが知れていますから、その硯はそんなにお徳でもありませんな」
と言ったのであった。
この二件、
倶使人頽気。
ともに人をして頽気せしむ。
いずれも「がっかり」させられる話である。
ああ。
宝剣贈侠士、紅粉遣佳人。
宝剣は侠士に贈るべく、紅粉は佳人に遣るべし。
宝のような剣は男気のある剣客に贈り、貴重な化粧品は美しい女性に差し上げるべきなのだ。
非其人而与之、安免取侮。
その人にあらずしてこれを与うれば、いずくんぞ侮りを取るを免れん。
そのモノの価値を理解しないひとに貴重なモノを与えるなら、必ずばかな目を見させられるのだから。
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清・朱海「妄妄録」巻五より。
まったく、オトナのこだわりを理解できないひとにそれを理解させるのは難しいことです。おいらが汚い古書を手に入れて
「おお、いとしいのう、ふふふ、もう逃がさぬぞ。前の主人が忘れられぬ? おまえはもうわしのモノじゃぞ、ハア、ハア」
と興奮しながらそれを撫でていると、その横で「ブックオフに連絡すると取りに来てくれるよ」と、それが本当にわたしの望んでいる情報であるかのように教えてくれるコドモじみた人がいるので驚きますなあ、わははは・・・。
あ、いけね、こんなオトナびた話してるとおいらがオトナであることがバレてしまって、「オトナならやれ」とまたシゴトとか責任とか持ってくるひとがいるといけないから、コドモのふりしなければ・・・。
―――うっしっしー。おいらコドモなので責任感も野心もありません。明日から仕事も更新もしばらく休みまーちゅ。天皇陛下は大ちゅきー。