オタマジャクシ時代より振り返るも、過ちの多きわがカエル生であったゲコ。
今日もオトナ文学を紹介しようと張り切っていたのです・・・が、別紙のような事情で持ち時間が足りなくなりました。そこで、タメになる話を少しいたしまして、更新を短く終わらせることにいたします。オトナ文学ファンのみなさまには申し訳ございません。
・・・・・・・・・・・・・
明日からまた平日です。平日にはまたたくさん間違いを仕出かしてしまうでしょう。
有過是一過。不肯認過、又是一過。
過ち有るはこれ一の過ちなり。過ちを認むるを肯んぜざるは、またこれ一の過ちなり。
間違いを仕出かしてしまうのは一つの間違いである。そして、その間違いを間違いだと認めようとしないなら、それもまた一つの間違いである。
一認則両過都無、一不認則両過不免。
一たび認むればすなわち両の過ちすべて無きも、一たび認めざればすなわち両の過ちを免れず。
「間違いでちたあ」と一回認めたら一つめの間違いも修正することができて、結局一つも間違いは無くなるのに、間違いを認めようしなければ、二つの間違いが出きてしまって、その修正もできないのである。
しかも「間違いではない」と言い張るやつがいる。
彼強弁以飾非者、果何為也。
かの強弁して以て非を飾る者は、果たして何のためなるや。
「間違いではない」と言い張って自分の非を押し隠してしまうあいつらは、いったい何のためにそんなことをするのだろうか。
間違いがどんどん積み重なっていくばかりであるのに。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「呻吟語」第88則。
明日からまた職場で仕出かす間違い、「すんません、間違ってましたあ」で済めばいいのですが、取り返しのつかないような間違いも仕出かすことでしょう。取り返しがつかないやつは「強弁」して自分の責任逃れが出来ればいいのだが、誤魔化す能力も無いのであるから、明日あたりでもうおしまいカモ。
そういえばつい最近、「尖閣はくれてやれ」と言ってた都知事候補がおられたが、今の事態を目にしても同じこと言えるのだろうか。「間違いではない」と強弁するのであろうか。
次へ