平成28年8月5日(金)  目次へ  前回に戻る

「てきていとうりょう、てきていとう」。このコトバは気に入ったよ。

毎年夏バテと夏の大弾圧でウツ状態になる。今年も身体的な夏バテでウツが始まってきた。動くのイヤ。動かないので体重は増え、さらに動けなくなっていく。

・・・・・・・・・・・・・

涼しいものはありませんかな。

ちりん、ちりん。

―――ああ、風鈴だ。

わたしがその音に引かれてふと風鈴を見上げたときに、

先師古仏云。

先師古仏云う。

(悟りを開かれて)歴代のブッダ(とすでに一心同体)であられた、わが先生がおっしゃった―――

渾身似口掛虚空  渾身口に似て虚空に掛かり、

不問東西南北風、 東西南北の風を問わず、

一等為他談般若。 一等に他とともに般若を談ず。

滴丁東了滴丁東。 滴丁東了、滴丁東(てきていとうりょう、てきていとう)。

 全身が口しかないようなかたちをして、あいつは虚空に架かっているなあ。

 そして、東・西・南・北、どちらから吹く風かなんて関係なしに、

 ただ風とともに「真の知恵」について語り合っているなあ。

 ―――ち、ちん、とん、ら、ち、ちん、とん。

(そのように自由な心でありなさい。)

これ仏祖嫡嫡の談般若なり、渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。

この「風鈴頌」(「風鈴賛歌」)こそ、シャカムニ=ブッダ以来、先生から弟子へと伝えられてきた「禅の教え」を受け継いだ、わしの先生の「真の知恵」についてのコトバである。(風鈴の)全身が「真の知恵」だというのだ、他者のすべてが「真の知恵」だというのだ、自分のすべてが「真の知恵」だというのだ、東も西も南も北も、すべてが「真の知恵」だというのだ。

・・・・・・・・・・・・・・

「風鈴頌」は、宋の天童如浄の「如浄語録」に出る詩偈だが、この文章は如浄の弟子・本朝永平道元「正法眼蔵」第二「摩訶般若波羅蜜」より。

おいらも土日で自由な精神となって西にも東にも風に吹かれ、少しでも身心が癒えるといいのですが・・・。(風鈴について興味?が湧いたひとはこちらも参照。勉強になるカモ)

 

次へ