「てきていとうりょう、てきていとう」。このコトバは気に入ったよ。
毎年夏バテと夏の大弾圧でウツ状態になる。今年も身体的な夏バテでウツが始まってきた。動くのイヤ。動かないので体重は増え、さらに動けなくなっていく。
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涼しいものはありませんかな。
ちりん、ちりん。
―――ああ、風鈴だ。
わたしがその音に引かれてふと風鈴を見上げたときに、
先師古仏云。
先師古仏云う。
(悟りを開かれて)歴代のブッダ(とすでに一心同体)であられた、わが先生がおっしゃった―――
渾身似口掛虚空 渾身口に似て虚空に掛かり、
不問東西南北風、 東西南北の風を問わず、
一等為他談般若。 一等に他とともに般若を談ず。
滴丁東了滴丁東。 滴丁東了、滴丁東(てきていとうりょう、てきていとう)。
全身が口しかないようなかたちをして、あいつは虚空に架かっているなあ。
そして、東・西・南・北、どちらから吹く風かなんて関係なしに、
ただ風とともに「真の知恵」について語り合っているなあ。
―――ち、ちん、とん、ら、ち、ちん、とん。
(そのように自由な心でありなさい。)
これ仏祖嫡嫡の談般若なり、渾身般若なり、渾他般若なり、渾自般若なり、渾東西南北般若なり。
この「風鈴頌」(「風鈴賛歌」)こそ、シャカムニ=ブッダ以来、先生から弟子へと伝えられてきた「禅の教え」を受け継いだ、わしの先生の「真の知恵」についてのコトバである。(風鈴の)全身が「真の知恵」だというのだ、他者のすべてが「真の知恵」だというのだ、自分のすべてが「真の知恵」だというのだ、東も西も南も北も、すべてが「真の知恵」だというのだ。
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「風鈴頌」は、宋の天童如浄の「如浄語録」に出る詩偈だが、この文章は如浄の弟子・本朝の永平道元「正法眼蔵」第二「摩訶般若波羅蜜」より。
おいらも土日で自由な精神となって西にも東にも風に吹かれ、少しでも身心が癒えるといいのですが・・・。(風鈴について興味?が湧いたひとはこちらも参照。勉強になるカモ)