おいらはフクロウ、凶兆とされているでホ。昨日のフランス革命記念日はたいへんなことになってしまったけどおいらとは関係ないでホッホ。
フランスでの事件も「遠い外国のこと」だから、われわれとは関係ないと思ってもいいはずなので、われわれは今日も平和なお花畑で枕を高くして眠っていてもいいわけです。
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そういえばこれも遠い外国のことですが、ある王さまは沙門(修行者)たちへの施しを好んでおられ、
飯食沙門、令太子自斟酌供具。
沙門の飯食するに、太子をして自ら斟酌供具せしむ。
修行者たちにメシをお食わせするのに、太子自らに飯をよそわせ、御膳や食器の持ち運びをさせた。
太子は修行者たちのお世話をしながら、心に思うには、
(めんどくちゃいなあ。
我作王時、悉当煞諸道人。
我の王と作らん時は、ことごとく諸道人を煞すべし。
おいらが王さまになったときには、この仏教修行者のみなちゃんを、みなゴロシにしてやろう、と。)
すると、目の前の修行者がにこりと笑い、
我不久在世間。
我、世間に在ること久しからず。
「太子さま、わたしはそんなに長いことこの世に生きておりませんじゃよ」
と言ったのであった。
「うひゃあ」
太子驚曰、道人明乃爾知我心意。
太子驚きて曰く、道人の明すなわちしかく我が心意を知る。
太子はびっくりしました。
「この仏教修行者さまの聡明なことよ。このようにおいらのココロの中を見通しておられるのでちゅなあ」
そこで今度は、
我作王時、当供養道人、勝我父。
我の王と作らん時は、まさに道人に供養すること我が父に勝るべし。
(おいらが王さまになったときには、仏教修行者のみなちゃんにご奉仕すること、おやじ以上にやることにいたちまちゅぞ)
と心に思ってみた。
そうしたら、
心遂和則、去悪就善。
心ついに和則し、悪を去りて善に就く。
心が和やかに、正しくなり、悪を去って善になりました。
修行者はまたにこりと笑われ、
比卿作王時、我生天上已。
卿の王と作らん時ころ、我、天上に生じ已(おわ)んぬ。
「あなたさまが王さまになられるころには、わたしはもう天上世界に生まれ変わっておりますよ」
とおっしゃった。
太子は感動いたしまして、
聖哉沙門。
聖なるかな、沙門。
「ああ、ありがたや、修行者さま」
と叫んで平伏した。
・・・ということでございます。
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呉・天竺三蔵康僧会訳「旧雑譬喩経」巻下より。
この王さまはアショーカ王、太子さまは後のクナーラ王、紀元前三世紀の物語なのだそうでございます。立派な王さまと強い軍隊があれば、臣民は枕を高くして寝られた・・・と思うのですが、遠い外国の遠い昔のことですから、参考になりますかどうか。