現実逃避にゃ。どこか遠くに逃げていきニャース。
三日もしごとしたのに、まだ水曜日とは。もう現実を逃避して変化(へんげ)してしまうしかない・・・
ぼよよよ〜ん。
うっしっし、おいらはコドモでーちゅ。
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よいこのみなちゃん、むかしむかしのお話でございまちゅよー。
牛飼いのコドモがおりました。ある日、
放牛野中。
野中に牛を放つ。
草原まで牛を連れて行って、放牧しておいた。
自分は遊びほうけたりゴロゴロしたりして楽しく過ごしておりましたが、ふと気づきますと、
見一鬼依諸叢草間、処処設網。
一鬼の諸ろの叢草の間に依りて、処処に網を設くるを見る。
一匹の小鬼が、草むらの間の小道のあちこちに、せっせと網を張って罠を作っているのが目に入りました。
(なにをちているのでちょうね)
そうっと近づいてみます。
それには気づかず、小鬼は
「よいちょ、これでよち」
と、一本の小道のこちら側に
設網、後未竟。
網を設くるも、後えはいまだ竟(お)えず。
網を張って、向こう側に網を張りに行こうとしていた。
つまりこの小道に横から入り込んでくる者があったら、どちらに行っても網にかかってしまう、というたくらみのようです。
(おいらには気づいていませんね。うっしっし)
牛飼いのコドモは
窃取前網。
前網を窃取す。
いま張られたばかりのこちら側の網を取り外して盗み取りました。
そして、そうっと向こう向きで作業をしている小鬼の背後に近寄っていきまして、突然、
「おまえは何をちているのじゃな?」
と声をかけた。
小鬼はこちらを振り向いて、
「何を、て、牛飼いのコドモを罠にかけてジゴクに連れて行ってちまおうと・・・????・・・おまえ、おいらが見えてるの?」
「見えてまーちゅ」
と言いざま、盗み取って来た網をかぶせまして、
以掩捕。
以て掩捕せり。
その網で鬼を捕まえてしまった。
「うっしっし、捕まえまちたー」
「うわーん、捕まってちまったよう」
そして、牛飼いのコドモは
即縛鬼。
即ち鬼を縛る。
すぐにこの鬼を縛り上げたのであった。・・・
こういうこの世のモノでないモノを見る能力のある人を「見鬼者」といいます。
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伝・晋・陶淵明「捜神後記」より。
鬼を縛り上げてからどうちてちまったか、書かれていません。「それから二人は友だちになりまちた〜」的な優しさ乃至甘えを許す文化ならいいのですが、なにしろチュウゴクだからなあ・・・。
なお、本日は夕方のニュースで陛下の生前御譲位の話題が出てきて、夜に宮内庁幹部がこれを否定。うーん。