平成28年7月12日(火)  目次へ  前回に戻る

おいらフクロウでホ。昼間善良な鳥のふりをしているおいらはマボロシなのでホッホ。

本日はいくつかの大きな事があった。ハーグ仲裁裁判所で南シナ海問題の判決が出た。北海道ファイターズの連勝がストップした。etc・・・とはいえまだ火曜日。○○○○署のひとも来てくれず、明日もツラい平日が続く。

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唐の末のころ、荊州当陽県のお役所は山の麓にあったそうなんですが、そのお役所の敷地に

劉文龍井

という井戸があった。

極深、井中有龍窠、傍入不知幾許。

極めて深く、井中に龍窠有りて、傍らに入るに幾許(いくばく)なるを知らず。

たいへん深い井戸で、井戸の中には龍の巣があるのだが、その横からどこまで入っていけるものか、わからないほどであった。

誰も龍を見たことはないのだが、龍の巣があるのだから龍が棲んでいるはずだろう、というので、

欲晴霽及将雨往往有雲気自井而出。

晴霽及び将雨を欲するに、往々にして雲気の井より出づる有り。

晴れて欲しいとき雨を降らしてほしいときに、井戸から雲のような気体がもやもやと出てくることがよくあった。

光化年間(898年〜901年)のこと、

有道士称自商山来、入井中取龍窠及草薬而去。

道士の商山より来たると称する有りて、井中に入りて龍窠及び草薬を取りて去れり。

河南の商山から来た、と称する道士が、井戸の中に潜って、龍の巣と薬草を採集すると、どこかに行ってしまったことがあった。

これ以来、ここにはもう龍はいないのだろう、ということになったが、

後有令黄馴者、到任。

後に令黄馴なる者有りて任に到る。

その後、黄馴という県令が着任したことがあった。

このひと、この井戸には以前龍が棲んでいたが今はどうやらいないらしい、と聞くと、

「それなら有り難がる必要もないのう」

と言いまして、

常繋馬於井旁、滓穢流漬尽入于井中。

常に馬を井の旁に繋げば、滓穢流漬ことごとく井中に入る。

いつもその馬を井戸の側につないだので、馬の食べかすや糞尿など、すべて井戸の中に流れ込むのであった。

そのことを批判するひともあったが相手にされなかった。

ところが、そのことと関係があったのかどうかわからないが、その年のうちに、黄馴もその馬も失明してしまったということである。

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五代・杜光庭「録異記」巻五より。                                                                                        

龍の巣は採集されてしまったのですから、関係ないと思います。といいますか、龍の巣なんてマボロシで、龍ははじめからいなかったんではないか。ぼくらいつもマボロシに騙されているだけなのかも知れない。

夜のおいらは小動物たちを残虐に追い詰める悪の鳥なのでホッホー!!

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