内心の恐怖や不安と戦う、われらは永遠のドン・キホーテなのだブウ。
二日間生きていましたが、また明日から生きてないのと同じような日々に・・・。
明日からの平日の恐怖を何とか払拭せんと、ほとけさまの教えでもいただこうと思います。
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外国有住処。衆中有一道人、当衆僧浄地大行。
外国に住処有り。衆中に一道人有りて、衆僧の浄地にあたりて大行す。
「住処」は僧侶の集まって修行する場所。「道人」は「修行者」「僧侶」。「大行」はここでは「(大便を)排便する」の意味でつかわれています。
とある国に僧侶たちの集会所があって、そこには僧侶たちが清浄に保っている至聖所があった。ところがある僧侶が、その場所でうんこちゃんを垂れやがったのである。
「なんということじゃ!」
更有一道人、性多瞋恚。
更に一道人の性として瞋恚(しんに)多きが有り。
別の僧侶―――たいへん怒りっぽいやつ―――がおった。
この僧侶が、うんこちゃんをした僧侶を指さしながらみなの前に出てきて、
「この場所はみなで清浄に保ってきた場所じゃぞ!」
と言い、
以舌舐之、用示衆人。
舌を以てこれを舐め、用って衆人に示せり。
自分の舌でそいつの垂れたうんこちゃんを嘗めとり、
「これほど清浄にしてきた場所に、こいつは不浄のモノを垂れおったのだ!」
と僧侶たちに説き示したのであった。
僧侶たちはその場の清浄であることを改めて確認するとともに、うんこちゃんをした僧侶をみなで弾劾して追放したのであった。
この(うんこを舐めた)僧侶の行動は悪をとがめるという意味ではたいへん意義のある行動であった。しかしながら、
唯知彰人之罪、不知自悪其口。
ただ人の罪を彰かにするを知りて、自らその口を悪しくするを知らざるなり。
ただ、他人の罪悪を明示するという点で意義はあったが、自分の口に変なモノを食ってしまうという点ではオロカなことであった。
そうです。
好んで人の悪事を言い募ること(「好言他悪」)が自らをも損なっていること、の喩えなんだそうです。
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たいへんビロウなお話に落ちてしまいましたが、「雑譬喩経」(比丘道略収集、後秦・鳩摩羅什訳)に書いてあったことで、肝冷斎が「うっしっし」とニヤニヤしながら創作したのではありませんので、念のため。
うーん、なるほど。このうんこを舐めた僧侶のような強いキモチで出勤するしかない、職業生活とはそういうツラいことであるのだ、というほとけさまの教えなのかも知れません。たとえほとさまにお願いしてもツラい明日が来るのを止めることができないのなら、早く寝るしかないのであろうか。
夜ごとにおまえは吟味せよ。
いささかな影も寝床に持ち込んではならない。
そうしたら、おまえはけがれなく
かぐわしい夢が慰めつつさし招く冷たい眠りの泉から深く飲み、
新たな日を澄んだ心で始める心の用意ができるのだ。 (ヘルマン・ヘッセ「夜ごとに」(高橋健二訳(一部省略))