古墳時代のハニワたち。彼らが言葉をしゃべったとは伝わっていない。
金曜日終わりました。今週は終わり。また来週が来るんだが。
・・・・・・・・・・・・・・
終末、いや週末なので、今日はナゾの言葉を解いてみましょう。
唐のころ、曹恵というひと、市中で見知らぬ男から「曹恵どのだな」と呼び止められ、いぶかしげに振り向くと、
「ある人から、あなたにこれを届けろということであった」
と、木箱を押し付けられた。
帰宅して箱を開くと、
得木偶人。能言語。
木偶人を得たり。よく言語す。
(二体の)でく(木製の人形)が出てきた。この人形たちは、ニンゲンの言葉でしゃべった。
彼らは
自称軽紅軽素。
自ら軽紅、軽素なりと称す。
自から称するに、「おいらは、かる赤ちゃんでちゅよ」「おいらは、かる白ちゃんでちゅよ」と言った。
そして、突然二体で声をそろえて、
鷄角入骨紫鶴喫黄角甲不害五通泉室為六代吉昌
と二十一字を唱え、
且曰暁此者当極貴顕。
かつ曰く、「これを暁(さと)る者はまさに貴顕を極むべし」と。
さらに続けて、
「この意味のわかるひとがいまちたら、最も貴く、最も有名な地位に進みますでちょー」
と言った。
「ど、どういう意味なんだ?」
と問い返したみたのですが、もはや二体の人形はコトバを発することはなかった。叩いても揺さぶっても、もう二度と口を開きはしなかったのである。
鷄角は骨に入り、
紫鶴は黄角を喫(くら)う。
甲は害せず五通泉、
室は六代吉昌と為らん。
とでも読むのであろうか。たとえこう読むのだとしても意味はわかりません。
ただ、当時の中書令の岑文本がこの話を聞いて、
識其三句。
その三句を識れり。
「わしはその三句を聞いたことがあるぞ」
と言った、ということだそうです。
この二十一字、三句にわけられないこともないが、一段と意味が通じない。
鷄角入骨紫鶴喫、 鷄角は骨に入り、紫鶴は喫らう、
黄角甲不害五通、 黄の角甲は五通を害せず、
泉室為六代吉昌。 泉室は六を為し、代わりて吉昌せん。
?????? 誰か解いてみてください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
唐・牛僧孺「幽怪録」より。
おそらくこれはもともと意味の無いコトバなのだから、解こうとして悩んではいけません。欲望に捕らわれてこのコトバの意味を解こうなどと心的エネルギーを無駄遣いすると、そこに妖魔が忍び込んでくるのカモ。今の時代にもかなりたくさんいるでしょう、この木偶人形みたいに意味の無いコトバを吐いてひとの注意を引こうとするやつは。(東京○○事してたひとも?まさか・・・。)
そういえば、肝冷斎は今日からシゴトを換えました。関係者のみなさんありがとうございます。身心ともうまくいくといいのですが。