コロされるー!
うわー! と叫びたいほどひどい目に遭いました。今日も。
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さて、昨日の晋の阮脩(字・宣子)のお話の続き。
阮脩は特に蓄えも無かったが、林中に兄弟や友人たちと自由気ままに、分を守って暮らしていた。
当時の易学者として有名であった王衍が訪ねてきて、
与脩談易、言寡旨暢。衍嘆服焉。
脩と易を談ずるに、言寡(すくな)くして旨暢なり。衍、嘆服す。
阮脩と易について議論したが、阮脩は言葉少なであるのにその論旨は射程が広くよく通った。王衍が議論の最中に「ああ」とためいきをついて感服したほどであった。
阮脩は
居貧、年四十余未有室。
居るに貧しく、年四十余なるもいまだ室あらず。
その生活は貧しく、四十歳を過ぎてもヨメもいなかった。
ヨメに来ようとする者がいなかったのではない。
王敦等斂銭為婚、皆名士也。時慕之者、求入銭而不得。
王敦(おうとん)ら銭を斂めて婚を為す、みな名士なり。時にこれを慕う者、銭を入れんと求むるも得ず。
王敦ら当時の名士たちは、その娘と結婚したいという者があると男性側から結納金を取ったものである。しかし、阮脩は、娘の親から持参金をつけるから結婚してくれ、と言ってきても断ったのである。
孤独の方がいいですからね。
ところが―――。
この阮脩ほどの人物が、
後為太子洗馬、避乱為賊所害。
後に太子洗馬と為り、乱を避けんとして賊の害するところと為れり。
後には出仕して東宮の騎士となったが、都で起こった叛乱を避けて脱出しようとして、反乱軍の殺すところとなってしまった。
のだそうです。
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「晋書」本伝より。
やっぱりシゴトに出たからコロされた? んですかね。シゴトはおそろしいなあ。