平成28年5月8日(日)  目次へ  前回に戻る

ココロもやさぐれていくばかり。

とうとう連休終わり。明日が来なければいいのに・・・・・などと不健康な思いを持たざるを得ないところである。

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・・・とはいえわたしどもなどまだまだ健康的なものでございます。むかしのチャイナの文化人はもっと不健康であった。

なにしろ纏足のオンナが大好きだったのです。

元曲の最高傑作といわれます「西廂記」の主人公、唐の貴公子・張珙(ちょう・きょう)は二十三歳の青年ですが、若いけどやはり纏足フェチであった。

河中・普救寺を訪れて、同寺に仮寓しているヒロインの崔鶯鶯を一目見たとき、心を奪われまして、案内役の僧侶に、

世間有這等女子、豈非天姿国色乎。休説那模様児、則那一対小脚児、価値百鎰之金。

世間この等の女子有りや、あに天姿国色にあらずや。説くを休(や)めよ、かの模様児、すなわちかの一対小脚児、百鎰の金に価値せん。

「世の中にあんなオンナがいるとは。天の与えた容姿、国を代表する美貌ではないか。その姿をとやかく言う必要はない、あの一対の小さな足だけでも、何キログラムもの黄金に値するぞ」

ひっひっひ。

と言ったのです。

僧侶曰く、

「こんなに離れていて、また長いスカートをはいておられるのに、どうしておみ足が小さいとおわかりになるのですか?」

張珙、

来来来、爾問我怎便知。爾覰。

来たれ来たれ来たれ、爾、我にいかでかすなわち知れりと問うか。爾、覰(み)よ。

「こちらに来たまえ。君は、わたしがどうしてそのことを知ったと訊ねるのか。君、よく見てみたまえ」

と言いまして、歌いはじめる。

(「後庭花」の節で)若不是寸残紅芳径軟、怎顕得歩香塵底様児浅。

もしこれ、寸残の紅芳の径、軟らかならざれば、いかでか顕かに得ん、香塵を歩むの様の浅きを。

もしも赤い花びらが道に、分厚く散り積もっていなければ、どうしてあのひとのかぐわしいほこりを立てながら歩く足が小さいのを知ることができたでしょうか。

ひっひっひ。

さすがです。落花の上についた足跡を見て、纏足の度合いが強いすごい小さい足だ、と観察したのですなあ。

その後さらに、

(「柳葉児」の節で)門掩著梨花深院、粉墻児高似青天。

門は掩(おお)われ、梨花の深院に著き、粉墻児は高くして青天に似たり。

門は覆われてしまった。梨の花の咲く深い庭は閉ざされ、飾りのついた垣根は高く、まるで天のようだ。

恨天。天不与人行方便、好著我難消遣。端的是怎留連。

天を恨む。天は人の方便を行うに与(くみ)せず、好ろしく我が消遣を難からしむ。端的にこれいかでか留連すべけんや。

天よ、おまえを憎む。天はわれらニンゲンが便宜にやろうとするのに協力せず、わたしのキモチを遂げさせようとはしてくれない。こうなったら、ここに居続けるしかないではないか。

ああ、小姐よ、あなたは

引了人意馬心猿。

人を引き了して、意を馬に心を猿たらしめたり。

わたしを惹きつけて、わたしの想いを馬に、心を猿にしてしまった。

馬は奔走し、猿は飛び跳ねる。それらのように恋の思いがとどまらぬ、というのであった。

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元・王実甫「西廂記」第一本より。

張珙はこうして科挙試験にも赴かずに普救寺に逗留することになり、ストーカー的に崔鶯鶯につきまとって、やがて・・・物語の結末はまたいずれそのうちにお話いたしましょう。明日からの実社会の厳しいシゴキに肝冷斎のココロが耐えられれば。

 

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