平成28年5月4日(水)  目次へ  前回に戻る

十ぐらいまでならいいのですが、千とか万になると数えらんない・・・。

今日は某所にてタイとカンパチをたくさんいただきました。タイを千枚、カンパチを一万ぐらい食ったかというぐらい量があった。おいしうございました。

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千とか万といいますと、次のようなコトバを思い出します。

水千流万派、始於一源。

水は千流万派あるも、始むるは一源なり。

水は千の流れ、万の支流に分かれていても、その源の泉はたった一つである。 ・・・

同様に、

木千枝万葉、出於一本。人千酬万応、発於一心。身千病万症、根於一臓。

木は千枝万葉あるも、出づるは一本なり。人は千酬万応するも、発するは一心なり。身は千病万症あるも、根とするところは一臓なり。

木に千の枝、万の葉が茂っていても、その根幹は一本だけである。人は千の受け答え、万の対応するとしても、その対応をする心は一つだけである。からだに千の病気、万の病症があるとしても、その原因となっているのはただ一そろえの内臓である。

というように、千万のことが起こっていても、その根っこは一つだけなのですなあ。

眩於千万、挙世之大迷也。直指原頭、智者之独見也。

千万に眩ずるは、挙世の大迷なり。原頭を直指(じきし)するは、智者の独見なり。

千万の方に目をくらませられるのは、世間全体の大きな間違いである。根っこの源のところを直接に指摘するのは、賢者にしかできないことである。

故病治一而千万皆除、政理一而千万皆挙矣。

故に病は一を治して千万みな除かれ、政は一を理(おさ)めて千万みな挙せられる。

というわけで、病気は根っこの一を治療すれば、千万の病症はすべて無くなるものですし、まつりごとは根っこの一を整えてやれば、千万の問題はすべて解決するものなのである。

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「呻吟語」より。「一」がわかるのは賢者さまだけだというのですから、わしらは千万に目をくらませられることのないようにして、何もしないでいればいいのかな?

・・・ところで今日はお休みなので、ゆっくりとしたアタマで考えてみました。★のテーゼについては、よくよく考えてみると、水の流れは一の水源から分かれていくのではなくて、あちこちの水源から湧いた水が、だんだん合わさって、最後は大河となって海に流れ込むものなので、成り立たないのではないか。は誤りのような気がしますが、諸姉諸兄におかれては如何。

 

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