シゴトや世間さまと闘う強い心があればなあ・・・。
週末だが、明後日はもう日曜日。月曜日の前の日なのだ・・・、と考えるとウツに。
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幸霊なる者がいた。
父母使守稲。
父母、稲を守らしむ。
幸霊のおやじとおふくろは、幸霊に収穫した稲を見張るように言いつけた。
「はい」
幸霊が積み上げた稲を見守っていると、
「もう、もう」
牛食之、霊見而不駆。
牛これを食らうも、霊、見て駆らず。
ウシがやってきて、この稲を食べ始めた。しかし、幸霊はそのウシを見つめているばかりで、追い払おうとしなかった。
幸霊はやがて、
牛去、乃理其残乱者。
牛去り、すなわちその残乱者を理(おさ)む。
ウシが去ってしまったあとで、残って散らばったものを集めなおした。
しばらくするとおやじとおふくろが帰ってきました。
稲の様子を見て、
「うわ、食われているぞ」
と驚き、
怒之。
これに怒る。
幸霊にむかって「おまえはなにをやっておったんだ!」と怒った。
「はい」
幸霊が答えるに、
物各欲食。牛方食、奈何駆之。
物おのおの食らわんと欲す。牛まさに食らう、いかんぞこれを駆らんや。
「生き物はみな、生きるためには食べねばなりません。ウシも生きるために食べていたのです。どうしてこれを追い払うなんてことができましょうか」
「うーん」
父母、あきれて言うに
即如此、何用理乱者為。
すなわちかくの如きも、何ぞ用って乱者を理(おさ)むるを為すか。
「それはそうとして、どうして散らばった残りものを集めなおしたのだ?」
「はい」
幸霊答えて曰く、
此稲又欲得生。
これ稲、また得て生きんと欲すればなり。
「それは、イネもまた生きようとしていたから、そのままにはできなかったんです」
・・・以上は晋の時代のお話。
此言有理。霊固有道者耶。
この言、理有り。霊、もとより道有る者ならんか。
幸霊のコトバは実に筋道が通っている。このひとは、生まれつきに「道」を体得した聖人であったのではなかろうか。
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宋・蘇東坡「東坡志林」巻二より。
子にだけは唄ふ父なり青林檎 能村研三
おやじとおふくろ相手だからこれで済んでいますが、厳しい平日の社会ではこうは行きますまい。ああ、また50数時間経つと平日か・・・。