みやこにはなんじのような無能は要らないのじゃ。
自己嫌悪になってきました。 ( ;∀;) (ただし職業人として。ニンゲンとしてはそんなに嫌いではないのですが・・・)
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東晋の時代、将軍の殷浩は劉遵祖という若者をいたく気に入り、後輩の庾亮に強く推薦した。
「そんないいおとこなんですか」
庾公甚欣然、便取為佐。
庾公はなはだ欣然として、すなわち取りて佐と為せり。
庾亮はたいへんよろこんで、すぐに採用して自分の補佐官にした。
劉が出勤してくると、さっそく、
座之独榻上与語。劉爾日殊不称。
これをひとり榻上に座せしめてともに語る、劉、爾日、ことに称わず。
幕僚の中で彼ひとりを自分と同じ長椅子に座らせて、ともに語った。しかるに、劉はこの日少しも冴えなかった。
庾亮はがっかりして、これ以降、
名之為羊公鶴。
これを名づけて「羊公の鶴」と為す。
劉のことを「羊さんの鶴」と呼ぶようになった。
「はあ?」
劉も、左右の者もその由来がわからなかったが、何か風流な鳥のことなのであろうと認識していたそうである。
しばらく後にあるひとが、庾亮に「羊公の鶴」の意義を訊ねたところ、庾亮が答えて言うには、
昔羊叔子有鶴、善舞。嘗向客称之。
昔、羊叔子に鶴有りて善く舞う。かつて客に向かいてこれを称せり。
羊叔子は西晋の名将で人格者として有名であった羊祜(字・叔子)のこと。
―――むかし、羊祜さまが一羽の鶴を飼っていたが、この鶴は訓練されていて、踊ることができた。羊祜さまは客人にむかって、このことを誇ったことがあったそうだ。
客人は
「へー、そないなカシコい鶴でんねんか」
と感心して、
試使駆来、不肯舞。
試みに駆来せしむるに、あえて舞わず。
ためしにいろいろ人にけしかけさせてみたが、こいつ、ちっとも踊ろうなどとしなかった。
―――よく似ているではないか?
故称比之。
故に称してこれを比す。
だから、その鶴になずらえてみたわけだ。
なんだそうです。
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「世説新語」排調第二十五より。
ちなみにわたしは「羊公の鶴」でさえありません。はるかに及ばない存在なのだ。はじめから舞いを知らないのだから。知っているように人に見せること、さえできなかったのだから。ということでそろそろ田舎に帰るか。
なお、劉遵祖はその後徐々に頭角を表わし、ついに中書郎(内閣書記官長)から宣城太守に至った有能なひとなので、いちだんと関係ない。