いろんなことが通り過ぎていった。
復帰しました。
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西晋の王戎(字・濬沖)は尚書令(現代の官房長官みたいな官職)となった。
ある日、公式の冠服を着け、一頭牽きの馬車に乗って、
経黄公酒壚下過。
黄公の酒壚の下を経て過ぐ。
「黄公の酒場」のあたりを通り過ぎた。
王戎は、後ろの席の客を振り向いて、言った。
吾昔与嵆叔夜、阮嗣宗共酣飲于此壚。
吾、昔、嵆叔夜、阮嗣宗とともにこの壚に酣飲せり。
―――わしは、むかし、嵆康(字・叔夜)、阮籍(字・嗣宗)らとともに、この酒場でしこたま飲んでいたものであった。
彼ら嵆康(けいこう)、阮籍(げんせき)、山濤(さんとう)、劉伶、阮咸、向秀にこの王戎を加えて、世に「竹林の七賢」といわれる交わりを結んでいたのでありました。その中ではいちばんの若輩者であった王戎が、生き延びて出世して、今をときめく尚書令となったのである。
王戎はことばを続けた。
竹林之游、亦預其末。自嵆生夭、阮公亡以来、便為時所羈絏。
竹林の游にもまたその末に預かれり。嵆生夭し、阮公亡じしより以来、すなわち時の羈絏するところと為る。
―――竹林での自由な生活にも、その一番末尾に入れてもらっていたものだ。だが、嵆さんが若死にし(実際には刑死)、阮さんが亡くなってからは、わたしもそのときそのときの生活に束縛されるようになってしまった。
「ふう」
と、ためいき一つ。
今日視此雖近、邈若山河。
今日、これを視ること近しといえども、邈(はる)かなること山河のごとし。
―――今日、懐かしい酒場を目の前に見て通りすぎた。すぐ近くに見えたけれど、(あのころは)はるかな山や河のように遠くなってしまったのだ。
過去には二度と戻れないので。
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「世説新語」傷逝第十七より。王戎についてはこちらも参照ください。→「王戎」
いろいろありましてしばらく更新できないでいるうちに、少しぐらいは冬から遠ざかったか、と思うのですが、まだ寒い。
今朝無風雪、 今朝は風雪無きも、
我涙浩如雪。 我が涙は浩として雪の如し。
莫怪涙如雪、 怪しむなかれ、涙の雪の如きを、
人生思幼日。 人生 幼きを思うの日なれば。
今朝は、風も雪も無い穏やかな天気だったが、
わたしの涙は白くあふれて雪のように降り注ぐ。
不思議なことではない、涙が雪のように降り注ぐのも。
なぜなら、わたしが幼いころを、思い出してしまった日なのだから。
清・龔定盦「寒月吟」其四より。過ぎ去ってしまった日々を思うと、ほんとうに涙があふれてきます。