今日もヤラれる忍者。
ツラい月曜日終わる。しかし明日からもまだ平日が続く。苦しいので我がコトバは呻くがごとし。
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おじさんのむかし話を聞きます。
余少時。
余の少時なり。
わしがまだ若かったときのことじゃ。
洩当密之語、先君責之。
まさに密かにすべきの語を洩らし、先君これを責むるあり。
秘密にしなければいけない内々のことを他人にしゃべってしまったことがあって、死んだおやじにえらい怒られたのであった。
わしは口答えして言った。
已戒聞者、使勿洩。
すでに聞く者を戒めて、洩らすなからしむ。
「あいつにはもう、「絶対によそで言うなよ」と注意してありますから・・・」
すると、くそおやじが更に怒りやがったのだ。
子不能必子之口、而能必人之口乎。
子、子の口を必することもあたわずして、よく人の口を必するとするか。
「おまえは、自分の口をきっちり閉ざすこともできなかったのに、他人の口を閉ざしきることができると思っておるのか!」
「む、むむ・・・」
且戒人与戒己孰難。小子慎之。
かつ人を戒しむると己れを戒しむるといずれか難き。小子、これを慎め。
「それに、他人に注意してさせないようにするのと、自分に注意してさせないようにするのと、どちらが簡単でどちらが難しいか、もわからんのか! この若造め、黙っておれ!」
「む、むむむ・・・」
―――今となっては懐かしい。それに、おやじの方が絶対的に正しかったと理解できる。
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明・呂新吾「呻吟語」第180則。
「呻吟語」は呂新吾先生の「自序」によれば「病いのときの疾痛の語」とのことです。
病中疾痛、惟病者知。難与他人道。
病中の疾痛はこれ病者のみ知る。他人と道(い)い難し。
病いのときの苦しみ・痛みは、病人にしかわからない。他人に説明するのは困難である。
しかしまた、
既癒、旋復忘也。
既に癒ゆれば旋(たちま)ちにまた忘るなり。
病いが癒えてしまうと、あっという間にその苦しみを忘れてしまうものだ。
自分は病いのときの苦しみを記録しておけば、二度とそんな苦しみを味わうまいとして気をつけるだろう、と思って、自分の未熟なときのことを記録した。だが、その後も何度も何度も病み、今も病いが癒えていない―――
のだそうです。