深淵もまた、おまえを覗き込んでいるのだ。「ぶー」「ぶー」
昨日も今日も寒かったナア・・・と言っているうちにもう明日は平日。
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晋の簡文帝(在位371〜372)・司馬Gがまだ琅邪王として撫軍の職にあったころのこと、
所坐床上、塵不聴払。見鼠行迹、視以為佳。
坐するところの床上、塵を払うを聴(ゆる)さず。鼠の行迹を見るに、視て以て佳と為す。
事務をとるために座る榻(長椅子)上の、塵を払うことを許さなかった。そこにネズミの足跡でもあれば、これを見て「すばらしい」と感じていた。
当代屈指の文化人であった琅邪王は、「無為自然」な生き方を善しとしておられたからであり、また流行思想となりつつあった仏教の関係者からも、ドウブツと人間は平等であり、仲良くする必要があると教えられていたからである。
ところがある日、ある参軍(参謀)が、
見鼠白日行、以手板批殺之。
鼠の白日行くを見、手板を以てこれを批殺す。
真昼間にネズミがその長椅子の上をちょろちょろしているのを見かけて、手に持っている板(笏)で撃ち殺してしまった。
ぶちゅー!
「うわー!!!」
側近たちは大騒ぎになった。そして、
撫軍意色不説。
撫軍の意色、説(よろこ)ばず。
「撫軍さまのお顔付きのなんとご不快そうなことか!」
と
起弾。
起ちて弾ず。
参軍の弾劾を開始したのであった。
それを聞いた司馬Gは、
鼠被害尚不能忘懐、今復以鼠損人、無乃不可乎。
鼠の害さるるもなお忘懐するあたわざるに、今また鼠を以て人を損なう、すなわち不可なること無からんや。
ネズミがヤラれたことさえ心から忘れられぬイヤなことであるのに、今度はネズミのことで人間を攻撃しようとするのだ、ダメではないということがあろうか(絶対ダメだ)。
と「教」(部下への命令の一種)を下して、弾劾を止めさせたのであった。
文末は二重否定に反語表現を使って、「三重否定」になっています。
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「世説新語」徳行第一より。
琅邪王さまはこのように簡易(おおらかでものにこだわらない)なお人柄であったのですが、晩年、帝位の簒奪を狙う桓温の意図を挫くために、即位せざるを得なくなってしまったのは、残念なことであった。
―――怪物と闘う者は気をつけるがいい。長いあいだ深淵を覗きこんでいると、深淵もまた君を覗きこんでいるのだから。(F・ニーチェ「善悪の彼岸」より)
みなちゃんもね。