平成28年1月19日(火)  目次へ  前回に戻る

水中も陸上もツラいでガジ。

やっと火曜日ですか。あと三日もある。お金持ちならシゴトしなくてもいいんだろうになあ。

・・・・・・・・・・・・・・

王陽明先生が弟子たちに言った。

抛却自家無尽蔵、 自家の無尽蔵を抛却して、 

沿門持鉢傚貧児。 門に沿うて鉢を持し、貧児に傚(なら)う。

 おまえたち自身の持っている尽きることない豊かな富(良知)を放り出して、

 ひとさまの家の前で鉢を持ち、乞食の姿を真似てはいないか。

と。(「詠良知示諸生」(良知について作った詩を、弟子たちに見せる))

また、これは誰の言葉か忘れたが(←著者が自分で作ったのではないだろうか?)、

暴富貧児休説夢、 暴富の貧児、夢を説くを休(や)めよ、

誰家竈裡火無烟。 誰が家の竈裡(そうり)にか、火に烟無からんや。

 にわかに富を手に入れた貧人よ、(富貴という)夢のようなものを誇るのは止めるがいい。

 どんなひとの家のカマドの中にも、(その人が足りる程度の)飯を炊く煙は立っているぞ。

という言葉もある。

一箴自昧所有、一箴自誇所有。可為学問切戒。

一は自ら所有に昧なるを箴(いま)しめ、一は自ら所有を誇るを箴しむ。学問の切戒と為すべし。

上の句は、自らの持っているものに気づいていないことにダメ出ししている。下の句は逆に自らの持っているものを誇ることにダメ出ししている。いずれも学問をしていくに当たってのすごく重要な教訓であろう。

・・・・・・・・・・・・・・・

明・洪自誠「菜根譚」前集より。

お金持ちでなくても自分の飯を炊く火ぐらいはあるというのです。そうか、お金持ちでなくてもシゴトしなくてもいい・・・のかも知れないよ。

なお、このひとたちの「学問」は「安心し立命するための実学」のことですから、「学問をする」はそのまま「よく生きていく」という意味でさえあります。念のため。

 

次へ