「クマだったら何が悪いのかおー?」「わにゃしに言われましても・・・」
今日も会社行かずに暮らしています(会社には「もどき」が行きました)。家から出なければ、少なくとも落とし穴には嵌まらない〜♪
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南朝宋の元嘉年間(424〜453)のことだそうですが、邵陵・高平の黄秀というひと、
入山経月不還。
山に入りて月を経るも還らず。
山中に入って行ったまま、一か月以上も帰ってこなかった。
そこでその子どもが捜索に行きましたところ、見つけました。
秀蹲空樹中、従頭至腰毛色如熊。
秀、空樹中に蹲り、頭より腰に至るまで毛色熊の如し。
黄秀は木のうろの中にうずくまっていたのだが、よくよく見るに・・・
なんと!
頭から腰まで熊のような毛が生えていたのであった。
「おとっつぁん、どうしたんだね?」
と問うに、おやじは
天譴如此、汝但自去。
天譴かくの如し、なんじただ自ら去れ。
「おてんとさまのお怒りじゃろうから、しようがない。おまえは一人で帰るがいいぞ」
という。
「そうかね」
そこで息子は一人で帰ってきた。
逾年、伐山人見形尽為熊矣。
逾年、伐山の人の見るに、形ことごとく熊と為れり。
翌年、キコリが山中で黄秀らしきものを見つけたが、その姿はもう完全に熊となっていた。
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南朝宋・劉敬叔「異苑」より。(なんで「完全に熊となっていた」のに黄秀であるとわかったのだろう? まあいいか・・・)
ああ、目に見えぬ天の譴(いか)りがニンゲンをクマにしてしまうのである。
まことに
有形之陥穽、不過捕獣、無形之陥穽、足以害人。
形有るの陥穽は獣を捕らうるに過ぎざるも、形無きの陥穽は以て人を害うに足る。
目に見える落とし穴はケモノを捕らえるに過ぎないが、目に見えない落とし穴はニンゲンをダメにしてしまうものなのだ。(清・鄭逸梅「逸梅叢談」より)
ニンゲンをダメにする「落とし穴」は、どこにあるのかさえ、わからないのである。