ドクロちゃん(笠に乗っているやつ)大活躍。
三が日も終わりましたので、出勤しました。が、やっぱりムリ。明日からは「影の進」か「ドクロの助」か、いずれにせよ肝冷斎の「もどき」を会社に行かせるしかないか・・・。
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本当はみんな正月元旦から、ばんばんシゴトをしたいものらしいんです。なのに我が国では正月の三日まではできれば門を閉ざして休むもの、とされてきました。そのわけはといいますと、これは室町時代、一休さんの教えによるのだそうでございます。
ある大晦日の晩、
あしたの露に名利をむさぼり、夕べの陽に子孫を愛し、蟻が麿(ちゃうす=茶臼)をめぐるがごとく、同じことをくるりくるり
朝の露が乾かぬ間に名誉だの利益だのというものを争い貪り、夕日が落ちていくときには子が孫がと心配し、まるでアリが茶臼のまわりをぐるぐる回るように、同じところをぐるぐると回り続け、
繰り返し輪廻していくニンゲンを
「おかしなやつらでちゅのう」
と思し召した一休さん。
いで物見せん人々よ。
「それでは、みなさまがたにもわからせてあげまちょうぞ」
と、言いまして、
墓原へゆきて、しやれかうべを拾ひきたり、竹の先につらぬきて、
死骸捨て場に行き、しゃれこうべを一つ拾ってきて、これを竹の竿の先にぶちゅりと着けて、
元旦の早朝から洛中の家々の門口ににょこにょこ(「如鼓、如鼓」)と立って、このしゃれこうべを差し出して、
「御用心、御用心」とてありき給ふ。
「お気をつけくだちゃいよ、お気をつけくだちゃいよ」と言いながら歩き回ったのであった。
このため、
皆人いまはしくて、門さしこめて居けるより、今に正月三日は門戸を鎖(とざ)しけるなり。
ひとびとは不吉でいやらしいことだと思って、門を閉ざして屋内でじっとしていたので、それから正月三日は門扉を閉ざして休むようになったのだ。
なのだそうなのです。
―――さて、あるひと、ドクロを竹の先に引っ付けて歩き回っている一休さんに向かって、
御用心とは尤も至極なり、祝ひても飾りても、終(つひ)には皆人かくのごとし。されども世の習ひにて、かくいはひよろこぶに、そのむくつけなき髑髏を、家々へ出さるることは御ちがひならずや。
「気をつけなされ、とはまったくそのとおりでございます。祝おうが飾ろうが、最後は誰しもそうなるのですから。けれど、俗世間の習慣として、正月はこのように祝い慶こんでおりますものを、そのように不気味なドクロを家々に挿しこんで歩かれるのは、やりすぎではございませぬか?」
と申し上げた。
一休さん、にやりと笑いまして、
さればよ、われもいはひて此れしやれかうべをおのおのに見するなり。
「そうなんでちゅよ。おめでたい日なので、おいらもお祝いのためにこのドクロをみなさんに見せて歩いているんでちゅ」
「はあ?」
目出度しといふこと、いかが心得けるぞや、むかし天照おほんがみ岩戸ひらき給ひしより、此のしやれかうべよりほかに目出度きものはなし。
「みなさんは「めでたい」というのはどういうことだと思っておられるのか知りませんが、むかしむかしの岩戸開きの天地開闢以来、このドクロほどめでたいものはありませんのでちゅじゃ」
と言いまして、一首詠みました。
憎気なき このしやれかうべ あなかしこ 目出度くかしく 是れよりはなし
かわいらしいこのドクロちゃんよ、なんとありがたい。めでたくてありがたくて、これ以上のものがあるだろうか。
「はあ?」
一休さんは続けて言いますに、
これ見よや人々、目出たるあなのみ残りしをば、めでたしと言ふなるぞ。
「これをごらんなさいよ、みなさん。このドクロちゃんは、目の玉が溶け出て、眼窩だけが残っているのでちゅ。お「目出た」い、というのはこのことではございまちぇぬか」
なんと! トンチです。目の玉が溶け出て眼窩だけが残っているから「目出た」い、とは、これは気づかなかったぞー。
皆人ごとにかくとは知るらめど、昨日も過ぎし心ならひに今日をくらしつ、あすか川の淵瀬常ならぬ世とは目に見ぬからに、風の音にもおどろかぬ人々に、用心せよと思ふなり。
「みなさんそれぞれは「おれもこうなるんだ」とご存知ではありましょうが、昨日一日無事で暮らしたその慣性のままに今日を暮らし、明日は飛鳥川の流れのように深い浅いが変化していく世の中だ、と現実に目に見ないから、風が吹いても気が付かないみなさんに、そろそろ気づいてくだちゃいねー、と申し上げようとちたのでちゅ」
ただ人は是にならねば、目出度き事はなにも無し。
「凡人は、このドクロのようになれば何の悩みも無い「目出た」い存在ですが、こうならないうち(生きているうち)にはめでたいことは何もない、苦しいことばかり、でちゅからなあ」
「なーるほど!」
諸人これを聞きて、さてもかしこき聖(ひじり)とて、をがまぬ人はなかりけり。
ひとびとはこの言葉を聞いて、
「いやあ、まったくほんとにありがたい聖者さまじゃなあ」
と、みんなで一休さんを伏し拝んだ。
ということでございます。
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「一休咄」巻三より。
一休さんが、一月いっぱいドクロ持って歩いてくれてたら、一月いっぱい休みだったのかも・・・。
一休よ、あんたがしっかりしていてくれたら、まだ休めていたかも知れぬのに・・・