新しい画が入りませんワン。それにしても、イヌとブタを一緒クタにするとは・・・。↓
明日は平日なので現世から離れようと思います。寒いし。
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二百年来無此詩也。
二百年来この詩無し。
この200年間、これだけの詩人はいなかった。
と正史(南斉書)に書かしめた南朝・斉の謝朓(字・玄暉)に、「之宣城郡出新林浦向板橋」という詩があります。
宣城郡に之(ゆ)く。新林浦を出でて板橋に向かう。
安徽の宣城に太守として赴く。建康の新林浦から出て、板橋港に向かう途中で。
斉の武帝の死後の政局の混乱を避けようと地方の太守の地位を得た謝朓が、首府の建康を出発したときの詩なので、そういう気持ちがこめられております。
江路西南永、帰流東北鶩。 江路は西南に永く、帰流は東北に鶩(ボク)たり。
これから行く方向、長江は西南に長く続き、
ここまで来た方向、東北に流れてやがて海にそそぐ。
天際識帰舟、雲中弁江樹。 天際に帰舟を識り、雲中に江樹を弁ず。
はるか天のかなた(の上流)から来る船が見え、
両岸の木々は雲の中にあるかのようにかすんでいる。
旅思倦揺揺、孤游者已屡。 旅思、倦みて揺々たり、孤游することすでにしばしばなれば。
旅の思いにもうすでに疲れてふらふらしている。
知るひとに会えない孤独な日々が何日も続いたので。
しかし、これから赴く宣城の地は、
既歓懐禄情、復協滄洲趣。 既に禄情を歓懐し、また滄洲の趣に協(かな)う。
俸禄がもらえるのでうれしいことであるし、
また、仙界の一つである滄洲のようなとこで、風趣ある山水を味わいたいという希望にぴったりですねん。
南朝のひとなので、華北のひとと違う、という意味でちょっと関西弁にしてみます。
囂塵自玆隔、賞心于此遇。 囂塵はこれより隔て、この遇に賞心す。
がやがやしたチリの世界とは今後離れることにしまして、
今回の機会を心に楽しみたいと思いますねん。
雖無玄豹姿、終隠南山霧。 玄豹の姿無きといえども、ついに南山の霧に隠れん。
おいらは、あおぐろい豹のようにかっこよくはないのですが、
とうとう南の山の霧の中に隠れてしまおうと思いますねん。
以上。
最後の一連がちょっとわかりにくくないですか?
「いや、よくわかっとるよ」
そうですか、それならいいのです。
わからないひとがいるといけないので、一応「南山の玄豹」について補足しますと、これは漢・劉向の「古列女伝」に載っている故事なんです。
「お、そうか、それだけわかれば十分じゃよ」
というひとも多いと思いますが、一応続けます。
・・・戦国のころ、楚の大夫・答子というひとが、三年間陶の地を治めたが、この間とくに名声は無い一方で、自分の富だけは三倍になった。その妻が「これではなりませぬ」と諫めたが聞かず、五年経って任期を終えたときには、百台の車に貨物を載せて帰るほどになっていた。親類の者たちは牛の角を叩いたりしてこれを祝ったが、
其妻独抱児而泣。
その妻、ひとり児を抱きて泣けり。
その妻だけが、コドモを抱いて泣いていた。
そこで姑が
「あなた、どうしてそんなにジメジメと泣いているのかしら? 不吉ざましょ」
とたしなめると、その妻が言うには、
「だんなさまは、能力が無いくせに大きな官職を与えられました。これは害にかかりやすくなった、というべきです。功績が無いのに家は栄えています。これはわざわいの種を積んだ、というべきです。
あたしはこのように聞いております。
南山有玄豹、霧雨七日而不下食者何也。
南山に玄豹有り、霧雨すること七日、食を下さざるは何ぞや。
南の山にあおぐろい豹がいるんだそうです。そして、この豹は、霧雨が七日間降っている間、何も食わないでいるのだというのです。なぜでしょうか。
その豹は、
欲以澤其毛而成文章也。故蔵而遠害。
その毛を澤し以て文章を成さんとすればなり。故に蔵して害を遠ざけんとす。
自分の毛をぴかぴかにし、かっこよくしようとしているからなのです。だから、霧雨にさらして毛をそこなうことを避けるのだ、というのです。
彼には、たとえ空腹となっても、なによりも大切にしたいものがあるのです。
一方、
犬彘不択食以肥其身、坐而須死耳。
犬彘は食を択ばずして以てその身を肥らせ、坐して死を須(ま)つのみ。
イヌやブタは、どんなエサでも食べて、その体を肥満させ、食べ頃になるのを待たれるばかり。
今夫子治陶、家富国貧、君不敬、民不戴。敗亡之徴見矣。
今、夫子の陶を治むるや、家富み国貧しく、君敬やまわず、民は戴かず。敗亡の徴、見(あら)わる。
今、だんなさまの陶での政治を見るに、自分の家は富ませましたが国には利益無く、王さまは尊敬してくれないし、人民は感謝していない。滅亡のきざしがありありと見えるではありませんか。
これはイヌやブタと同じ。南の山のあおぐろい豹とはまったく違います」
そこで妻、かたちを改めて言う、
願与少子倶脱。
願わくば少子とともに脱せんことを。
「この子と一緒に、その滅亡から逃れることがあたしの願いですわ」
トロイの滅亡を予言した、カッサンドラもかくやと思われる恐ろしい予言でございます。
「なんという不吉な女ざましょ!」
姑は怒りまして、この妻を追い出した。
それからわずかに一年、答子は横領の罪に問われて誅殺され、その親族も連座した。
唯其母老以免。婦乃与少子帰養姑。
ただその母のみ、老を以て免る。婦すなわち少子とともに帰して姑を養えり。
ただ答子の母(妻の姑)だけはもう老人だというので死罪を免れた。追い出された妻は、コドモとともに答子の家に戻り、そこでただ一人になった姑の生活を支えたのであった。
・・・というお話でございます。
―――さて、謝朓ですが、宣城太守として数年間、山水の風致を楽しんでいたが、以前より恩顧のあった明帝が即位するとその謀臣として呼び戻され、帝の死後、王位をめぐる内紛に巻き込まれて、獄中に死んだ。時に年・三十六歳。ついに「南山の玄豹」たりえなかった―――のでございます。
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「南斉書」謝朓伝より。
―――犬彘は食を択ばずして以てその身を肥らせ、坐して死を須(ま)つのみ。
ぶうぶう。イヌやブタのように食うばかりではいけないようなので、おいらは明日から南山にいってまいります。