日暮れの前に帰りまちゅ。コドモだから。
寒くなってまいりました。
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天辺白雁写寒雲、 天辺の白雁は寒雲に写(えが)き、
鏡裏青鸞痩玉人。 鏡裏の青鸞は玉人を痩せしめたり。
秋風昨夜愁成陣。 秋風の昨夜より、愁いは陣を成しぬ。
天の遠いところを白雁の群れが行き、(雁の列が)寒い雲の上に文字を描き出すこの季節。
鏡の裏には青いつがいの鸞鳥(らんちょう)の絵があるが、美しいひとはその前で痩せこけていく。
秋風が昨夜吹いた。それからそのひとは愁いの陣に捉えられ、脱け出すことができないのだ。
おいらも痩せたいところですが・・・。
ところで、美しいひとはなんで愁えているのかな?
思君不見君、 君を思えども君を見ざれば、
緩歌独自開樽。 緩歌し独自(ひとり)樽を開きぬ。
あなたを思うのにあなたはここにいないから、
ゆるやかな歌をくちずさみながら、ひとりぽっちで酒樽を開いたのよ。
だそうです。ち、やっぱりおとこがいたか。
燈挑尽、 燈しびはかかげ尽くし、
酒半醺、 酒には半ば醺じぬ、
如此黄昏。 かくのごときの黄昏に。
明かりはだんだん消えていき、
お酒にちょっと酔っ払った。
そんな夕暮れどきなのさ。
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元・張可久「秋思・水仙子」(秋の思い、「水の仙女さま」の節で)。
張可久は字・小山(あるいは字が可久で小山が号である、ともいう)、南宋末の浙江・寧波のひとで、元の至正年間(1341〜)まで生きていたらしい。元代に政治的に差別された「南人」(南宋の領域の出身者)で、地方の吏員を勤めたが志を得ず、江南各地を放浪して最後は杭州に棲んだという。上記の「水仙子」のような「小令」といわれる短編詩が現存855首あって、元代最多といわれ(ほかに長編の曲もあり)、作品は「風格あり、典雅にして清麗」と称される。
本日は寒いです。時雨もそぼそぼと降っております。が、明日はちょっとお出かけなので、明日は更新しない宣言。
ほんとですよ。
いつはりの無き世なりけり神無月たがまことよりしぐれそめけむ (藤原定家)
(うそいつわりの無い世では、恋に破れたひとの涙が神無月の時雨となるのだというけれど・・・)うそいつわりなど今の世にあるわけがないのだから、いま降っている神無月の時雨は、いったいだれの真心から降り始めたものなのだろうか。(実際にはうそいつわりばかりの世の中なのだ。あなたはわたしを愛していてくれなかったのだから・・・)