はなみず垂らしてラーメンに落ちそうなら、だれか教えてあげないと・・・。
肝冷斎はやはりダメでしたね。金曜日に更新してから行方をくらまして、帰ってきません。肝冷斎はもうすでに何代も世代交代していますが、どの世代もやる気とか立ち向かう勇気とかが無いですね。誰か説教してあげないと・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・
殷の二代目(「史記」によれば四代目)に当たります王・太甲が即位したときの、前代(「史記」によれば三代前)以来の功臣である伊尹のことば。といいますか、説教。
――ああ、いにしえの夏の国の王たちはその徳を増そうとはげまれた。このため天の降すわざわいも起こらず、山川の精霊たちも安らかでありました。そしてニンゲンはもとより、鳥・獣・魚・すっぽんに至るまでみなその徳に従ったのでございます。
ところがその王たちの子孫である桀王はご先祖たちの行いに従わず、このため天はわざわいを降し、我が国の湯王さまに力を与えて討伐させたのでございました。
我が商(殷の国号)の王は、聖なる武威を明らかにされ、虐げる政治に代わって寛大な政治を行い、「兆民」(数多い人民ども)は本当に心から王に懐いたのでございます。
今、王は、その徳を嗣がれようとしております。はじめがかんじんでございますぞ。身内の者からはじめて愛を行い、年長の者からはじめて敬いを行わねばなりません。家・国からはじまって、四方の海の岸辺に及ぶまで、押し広げていかねばなりません。
先代の王は、はじめて「人紀」(ひとがひととしてあるために守らねばならぬ規律)をお定めになりました。臣下からの諫めにしたがい、「先民」(いにしえよりの賢者たち)の教えにしたがわれたのです。ひとびとの上に立って、しもじものことを明察され、しもじものためには真心を尽くされました。他人にはルーズですべてを求めることなく、自分にはきびしく、いつも自分の行為をチェックしておられました。
このようにしてよろずの国を支配なさる地位につきましたが、それほどその地位は困難を伴うものなのです。
そして先代さまは広く賢者をお求めになり(このわしもそうですが)、後継ぎのあなたさまを助けさせようと遺されました。また、臣下のものを治めるための規則をつくり、役職にあるものを戒められたのです。その戒めに曰く―――
敢有恒舞于宮、酣歌于室、時謂巫風。
あえて宮に恒舞し、室に酣歌する有り、時(これ)を「巫風」と謂う。
宮中でいつも踊り、家中では酒を飲んで歌をうたう。これを「かみおろし風」という。
敢有殉于貨色、恒于遊畋、時謂淫風。
あえて貨色を殉(もと)め、遊畋(ゆうでん)を恒にする有り、これを「淫風」と謂う。
財貨やエロスを求め、放浪や狩猟ばかりする。これを「不道徳風」という。
敢有侮聖言、逆忠良、遠耆徳、比頑童、時謂「乱風」。
あえて聖言を侮り、忠良に逆らい、耆徳を遠ざけ、頑童に比(した)しむ有り、これを「乱風」と謂う。
聖人のことばをあなどり、まごころある良心的なひとに反発し、年老いた徳あるひとを遠ざけ、おろかな若いものたちを近づける。これを「むちゃくちゃ風」という。
この「三風十愆」(さんぷうじゅっけん。三つの「風」、十のあやまち。10+3でなくて最大10ですが・・・)は、
卿士有一于身、家必衰。邦君有一于身、国必亡。臣下不匡、其刑墨。
卿士身に一も有らば家必ず衰う。邦君身に一も有らば国必ず亡ぶ。臣下匡(ただ)さざればその刑、墨なり。
貴族や士たちが、そのうちの一つでも持っていたら、その家は必ず衰える。国の君が、そのうちの一つでも持っていたら、その国は必ず亡ぶ。(というおそろしいものであり)臣下がそのことを知りながら矯正してやらないならば、入れ墨の刑に処されねばならない。
・・・というのが先代の王の、部下たちへの戒めであられたのであります。
ああ。跡継ぎの王さまよ、このことをよくよくお考えください。聖なる先代さまの教えはすばらしく、良きことばはまことに明らかであります。
惟上帝不常、作善降之百祥、作不善降之百殃。
これ、上帝は常ならず、善を作さばこれに百祥を降し、不善を作さばこれに百殃を降す。
そうです、天上の主宰者・天帝さまには永続(して一つの家系に栄光を与える)ということはございません。善きことをすればその人にはもろもろの幸いを下し、善からざることをすればその人にはもろもろのわざわいを降すばかりでございます。
あなたの行為が徳にかなったものであれば、どんなに小さなことでも世界中のひとびとをはそれを喜びます。あなたの行為が徳にはずれたものであれば、たとえ大きくなくても(いずれは家国を滅ぼして)ご先祖さまのお祭りをできなくなってしまいますぞ。
―――しかし、太甲は説教を聞かず、心を入れ替えなかったので、桐の地に幽閉されたのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・
「尚書(書経)」商書より「伊訓」(伊さんの教え)。
ただしこの文書は「偽古文」で、古くとも戦国末、あるいは漢代以降の偽作とされていまーちゅ。