明日生き抜けたら、褒美に果物ぐらい欲しいでぶー。
明日は特別的にツラいしごとがありますので、だんだんと緊張し、感情を失ってきました。ああ、明日を生き抜くことができるだろうか。もし生き抜けたら立ち上がって舞い踊るぐらいうれしいであろう・・・。いや、生き抜くことなどできるはずがないから、そんな仮定は必要ないのだ。
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むかしむかしのことでございまちゅよ。
仏従衆比丘行、逢三酔人。
仏、衆比丘を従えて行くに、三酔人に逢う。
仏さまが弟子たちを従えて歩いていたら、三人で車座になって酔っ払っているやつらがいた。
よく見ると三人とも仏さまの弟子の出家者であった。禁酒戒(酒を飲んではならんという戒律)を破っていたのである。
三人組は仏さまが来たのを見て、
一人走入草中逃。
一人は走りて草中に入りて逃ぐ。
@一人目は「うひゃあ」と驚いて、道端の草の中に逃げ隠れてしまった。
一人正座搏頬、言無状犯戒。
一人正座して頬を搏(う)ち、言う、「状無し、戒を犯せり」と。
A二人目はその場に正座し、自らの頬を自分でピンタして、「申し訳もございません。戒律を破ってしまいました」と言った。
一人起舞、曰、我亦不飲仏酒漿、亦何畏乎。
一人起ちて舞い、曰く、「我また仏の酒漿を飲まず、また何をか畏れんや」と。
B三人目は立ち上がって舞い踊り、言う、「おいらは仏さまのお酒を飲んだわけではありませんからね。別にびびる必要なんかあるもんか」と。
みなさんは、@〜B、どれを選びますか? 10秒ぐらい考えてくださいね。
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仏さまは側近の阿難(あーなんだ)に言った。
「アーナンダよ、これを覚えておくがいい。
草中逃人、弥勒作仏時、当得応真度脱。
草中に逃ぐるの人は、弥勒の仏と作る時、まさに得て真の度脱をなすべし。
草の中に逃げ隠れてしまった@のやつは、悪事が許されないことを知っているのである。今回はダメでも、次の仏である弥勒(まいとれーや)くんが仏として教えを垂れる時には、ほんとうの悟りに至ることができるだろう。(もう少しのところまで来ているのだ)
正座搏頬人、過千仏、当于最後仏得応真度脱。
正座して頬を搏ちし人は、千仏を過ぎて、まさに最後仏によりて得て真の度脱をなすべし。
正座して自分の頬を自分でピンタしたAのやつは、悪事の認識はあるが自分は許されるに違いないと思ったのである。千人の仏の時代を過ぎて、はるかなはるかな未来に最後の仏が現れた時に、ようやくほんとうの悟りに至ることができるだろう。(最低のやつだが何とかなるであろう)
起舞人、未央得度也。
起ちて舞える人、いまだ得度を央ぜず。
立ち上がって舞い踊ったBのやつは、もうダメだ。悟りに至ることは無いだろう」
と。
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旧「雑譬喩経」(呉・天竺三蔵・康僧会訳)より。
逃げた@のやつがよくて、自分でピンタまでしたAのやつが最低クラスで、Bのなかなか見どころのあるやつがダメだとは。明日、もし生き抜いて、そのよろこびに立ち上がって舞い踊るときに仏さまがそこらへんにいたらマズいのかな。コドモだからいいよね。