とりあえず生き抜いたが、それもつかの間・・・。
今日終わった・・・のに、もう明日が来る・・・。
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むかしむかし、呉の宝鼎元年(266)のこと、丹陽の町に宣鶱という男がいたのだが、そのおふくろが
年八十、因浴化為鼈。
年八十、浴に因りて化して鼈(べつ)と為る。
八十歳であったが、水浴びをしているうちにスッポンに変化してしまった。
なんと。
宣鶱とその弟たちは、おふくろがスッポンになってしまったので驚きました。
何か対策をとらないと、世間体も悪い。
兄弟閉戸衛之、掘堂上作一池、寔中水。
兄弟扉を閉ざしてこれを衛り、堂上を掘りて一池を作り、寔に水を中す。
兄弟でしめし合わせて家の戸を閉ざして母スッポンを外界から切り離し、部屋の真ん中を掘って池を作って、そこにほんとうに水を入れた。
鼈入池遊戯二日、引頸外望、伺戸小開。
鼈は池に入りて遊戯すること二日、頸を引きて外を望み、戸の小開することを伺えり。
母スッポンはその池に入ってじゃぶじゃぶと二日間は楽しそうに泳いでいたのだが、二日もすると首を伸ばして外界の様子を見、扉が少しでも開くのをうかがうようになった。
そして、すきをみて
転輸自躍入於遠潭、遂不復還。
転輸して自ら躍りて遠潭に入り、ついにまた還らず。
ごろごろと部屋が出、川に飛び込んでしまい、それからは二度と戻らなかったのである。
不思議なことですなあ。
ところがそれからきっかり14年後、天紀四年(260)の春、呉の国は滅んでしまった。
そこで
此呉亡之象也。
これ呉の亡ぶるの象なり。
これは呉の国が滅亡するしるしだったのだ。
ということがわかったのである。
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呉の滅亡とほんとに関係あったのでしょうか・・・と疑問だが。唐・陸勲集「集異志」巻一より。
このスッポンでさえ二日は我慢していたのだ。わしもなんとかあと二日は・・・いや、ムリか・・・。