「どうしてがんばらないのだおー!」「うきき」
コドモ仕事もできないのでコドモ会社でもツラい立場に・・・。
仕事のストレスでだんだん攻撃的になってきたぜ。誰か攻撃してやる。そうだ、北条義時を攻撃してやるぜ。やつは逆賊だからな。
・・・・・・・・・・・・・・・
伝説では、北条義時は深見某なる者を誅殺したのだが、その子を近侍させ、
卒為所殺。
ついに殺さるるところとなる。
結局その近侍に殺されたのだという。
ああ。みじめな死に方である。
是其或然也。
これ、それあるいは然らん。
このことは、もしかしたら事実だったかも知れない。
なぜなら、義時はあまりにも悪だったからである。
昔、平清盛や源義仲はともに兵を挙げて後白河上皇に刃向った。しかしいずれも自分のことを上皇にあしざまに讒言したやつを除いただけで、さすがに上皇様を捕らえたり島流しにしたわけではない。
然猶不免誅滅。
しかるになお誅滅を免れず。
それでもなお、後に一族を滅ぼすことになったのである。
ところが、
如義時者、真無前逆賊而得脱叛名於世。天其仮手其臣僕斃之也。
義時が如き者は、真に無前の逆賊にして世に叛名を脱するを得。天それ、その臣僕の手を仮りてこれを斃せり。
ところが義時のやつは、史上例の無いほんまもんの逆賊なのに、当時においては謀反人の名をこうむらなかった。そこで、天は彼自身の下僕の手を使って、彼を殺したのである。
ひっひっひ、いいざまだぜ。
さらに、
及其子孫遇新田氏之斧鉞、抉其巣穴、殲其醜類。天網恢恢疎而不漏、豈不信哉。
その子孫に及びて新田氏の斧鉞に遇い、その巣穴を抉られ、その醜類を殲(ころ)さる。天網恢恢、疎なれども漏らさず、とはあに信ならざらんや。
その子孫になると、新田義貞軍の盗伐にあって、その巣穴である鎌倉をえぐられ、みにくい一族ともどもに殲滅された。「天の網は巨大で、目は粗いがすべてを覆うのだ」というのは本当なのだなあ。
と、ここで、
「ちょっと待ってくださいよ」
と申し出た者がある。
時宗之禦元虜、保我天子之国、足以償父祖之罪矣。
時宗の元虜を禦(ふせ)ぎ、我が天子の国を保つは、以て父祖の罪を償うに足れり。
北条時宗が元蒙の侵略軍を防ぎ、我が天の子の国を保ったのは、それによって祖先の義時の罪を償う行為であった。
と思いませんか。
元の侵略者は南宋を恫喝して降伏させたので、その成功体験を我が国に推しあてて侵略してきたのである。
このとき、時宗はその使者を受け入れなかった。この時点ではどちらが正義だということは判明しなかったが、
及彼以兵来脅剪屠我辺疆、則曲在於彼。
彼の兵を以て来たり脅かし、我が辺疆を剪屠せんとするに及びて、すなわち曲、彼に有り。
やつらの軍勢がやってきて、我が国の辺境をおびやかし、領地を切り取ったり人民を虐殺しはじめたところで、やつらの不義が確定したのだ。
やつらはまた使者を送ってきた。
こうなれば、
不可不執而戮之、折彼凶威、定我民志、奪其所挟而決死待之。
執りてこれを戮(ころ)し、かの凶威を折り、我が民志を定め、その挟むところを奪いて、死を決してこれを待たざるべからず。
この使者をひっとらえてぶっ殺し、やつらのまがまがしい威厳を崩し、我が方の人民のキモチを一体化し、使者の持ってきた国書を奪い取って、絶対死んでしまうんだと覚悟して立ち向かおうと決めて、やつらの動きを待つしかないのだ。
そして時宗はそうしたのである。
可謂深中機宜矣。
深く機宜に中(あた)ると謂いつべし。
明確にポイントに当たる正しい判断をしたのだ、というべきであろう。
そうでなければ、どうして南宋のようにならなかったと言い切れようか。ふんがー。
・・・・・・・・・・・・・・・
悲憤慷慨して鼻血が出そうですね。南シナ海の風雲を見上げると、そろそろ国論を統一し民志を定めるべきときが近いのカモ、と思います。
頼山陽「日本外史」巻四「北条氏」より。よし、おいらも土日の間はがんばろう。