平成27年11月1日(日)  目次へ  前回に戻る

グレぶた。

先週コドモ会社に出勤してツラいコドモ仕事などをしておりまちゅ間に、オトナ肝冷族たちが「うっしっしコドモ広場」の看板を破り捨てて、もとの「肝冷斎」に戻ちてちまったのでちゅ。ところがそのオトナ肝冷族たち、また月曜日が来るというので、おびえて世界の影に隠れてしまった。更新の方はコドモ任せなんでちゅなー。

・・・・・・・・・・・・・・・

ほんとに情けなくて涙が出てきまちゅよ。・・・涙が出てくる、といえば―――

賢者曰く、

人生不可不儲三副痛涙。

人生、三副の痛涙を儲(たくわ)えざるべからず。

ひとの生涯には、三種類の悲痛な涙を流す機会を持たざるを得ない。

どのような涙ですかな。

一副哭天下大事不可為。

一副は天下の大事の為すべからざるを哭するなり。

ひとつめは、天下国家の大事が成し遂げられることなく失敗に帰していくのを、泣き悲しむときである。

ほう。

一副哭文章不遇識者。

一副は文章の識者に遇わざるを哭するなり。

ふたつめは、すばらしい文章が、それを理解できる者の目に触れることなく埋もれていくのを泣き悲しむときである。

へえ。

一副哭従来淪落不偶佳人。

一副は従来より淪落して佳人に偶せざるを哭するなり。

みっつめは、いつまでも落ちぶれ続けて、美しいひとと連れ添うことができないのを泣き悲しむときである。

はあ。

此三副方属英雄血涙、真事業、真性情、倶在此中。

この三副はまさに英雄の血涙に属し、真の事業、真の性情、ともにこの中に在り。

この三種類は、まさに英雄が血涙を流すほどのことばかりであり、ひとたるものの本当の仕事、本当の心は、どちらもこの中に在るといえるのである。

なんと。

非復児女情長執手涕泣比也。

また児女の情長くして手を執り、涕泣するの比にあらざるなり。

もう女子供どもがだらだらと手を取りあって、ぐずぐず、めそめそと鼻水垂らしているようなこととは比べものにはならないのである。

なーんだ、オトコ社会の勝手な論理だったのでちゅね。男女共同参画では無かったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・

清・湯伝楹「間余筆話」より。

オトコ社会の勝手な論理にも聞くべきことはあるような気がするが、そんなこと言っているとコドモでも攻撃されてちまうカモしれません。マズイので止めときまちゅ。

 

次へ