「よくガンバってるおー、その調子」「にゃ、にゃーす(汗汗汗)」
やっと月曜日終わり。まだ四日もあるのか。くそ、やってられないぜ! ・・・みたいな感じで自暴自棄になって、今日も食いすぎ。
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肝冷斎関係者が食いすぎてしまうのは、性のしからしむるところなので仕方ないのでしょう。
だいたい
仏居大地之陰。西域也。日必後照、地皆西傾、水皆西流也。故言性以空。
仏は大地の陰に居る。西域なり。日必ず後に照らし、地はみな西に傾き、水はみな西に流る。ゆえに性を言うに空を以てせり。
ブッダは大地の「日陰」に生まれた。「西の地域」といわれる地方である。太陽は東から西に進むので、その地はどうしても後で照らされることになる。地は西に行くほど低くなり、河川は西へ西へと流れている。(太陽の力がだんだん弱まっていく「日陰」に生まれたから、)「本質は空っぽなのだ」と言ったのである。
これに対しまして、
孔子居大地之陽。中国也。日必先照、地皆東傾、水皆東流也。故言性以実。
孔子は大地の陽に居る。中国なり。日必ず先に照らし、地はみな東に傾き、水はみな東に流る。ゆえに性を言うに実を以てせり。
孔子は大地の「日向」に生まれた。我が「中央の国」である。太陽は東から西に進むので、この地はどうしても先に照らされることになる。地は東に行くほど低くなり、河川は東へ東へと流れている。(太陽の力がだんだん強まっていく「日向」に生まれたから、)「本質は充実しているのだ」と言ったのである。
ということですから、
地気有以使之然歟。
地気の以てこれを然(しか)らしむるあるか。
大地の持つ気分が、彼らをしてそのような思想を抱かざるを得なくしたところがあるのではなかろうか。
ブッダや孔子さまでさえ、なにものかに「然(しか)らしめ」られてああなったんだそうです。回りの雰囲気に流されやすい肝冷斎一派であれば、ひとたまりもありますまい。
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明・葉子奇「草木子」巻之二下より。
明日は少しは自分の力で運命を開こうという気になれるといいのですが・・・。
切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みゆけばあとは極楽
(切り結んで刀を合わせているときはギリギリとジゴクのようにつらいケド・・・もう一歩踏み込んでみれば楽しくなってくるハズだ。) (作者未詳・道歌)
踏み込んだら「ぶちゅっ」とやられてホントの極楽に行ける、ということでは?・・・まあ、それでもいいか・・・。