酔いつぶれても眠るぜ。酔いつぶれなくても眠るが。
眠りたい。半永久的に、でもOK。
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希夷先生・陳摶は五代から宋の初めにかけて実在したとされる道士で、宋の太祖皇帝からも帰依された人ですが、宋代の早い段階からいろいろ伝説の主人公になり、民衆からも知識人からも人気がありました。
このひとが太祖皇帝から
「ぜひ、朕に仕えてくれないか」
と誘われたとき、こう答えたと申します。
―――それは無理なことですじゃ。
我睡呵、黒甜甜倒身如酒酔、忽嘍嘍酣睡似雷鳴。
我睡らんか、黒甜甜(てんてん)として身を倒(さかし)まにし酒に酔うが如く、たちまち嘍嘍(ろうろう)として酣睡して雷鳴に似たり。
わしは睡ってしまうと、睡眠をあまいあまい黒あめだと思って、酒に酔ったように転がってしまうし、あっという間に「ぶおんぶおん」と眠りたけなわにして雷鳴のようないびきをかくのです。
そんな状態では、
誰理会的五更朝馬動、三唱暁鷄声。
誰か理会せん五更の朝馬の動き、三唱する暁の鷄声を。
いったいどこのどなたが、夜明けがたに朝廷に出勤するための馬のうごめきを聞き、日の出前に三度鳴くというニワトリの声を聴くことができるでしょうかのう。
誰にもそんなことはできませんから、わしもできません。よって、朝起きられないので出勤できません。
たとえ出勤できたとしても、
睡魔王、執着這白象笏似睡餛飩。
睡魔王なれば、この白象の笏の睡の餛飩(こんとん)に似たるを執着す。
「餛飩」(こんとん)は「おもち」のこと。「混沌」と同じ音で、「ほうとう」「うどん」「わんたん」などはみな「餛飩」から派生したといわれます。「睡餛飩」というのはほかでは聞きませんが、おそらく「混沌」と通じさせて、白いモチのように見えて、混沌とした眠りの世界を連想させることをいうのでしょう。
わしは睡眠の魔王でありますから、役人になると白い象牙の笏を手に持たねばならないが、それを見ると白いおもちを思い出し、おもちのようにねっとりとした眠りの世界を連想してしまい、居眠りをしてしまうでありましょう。
また、
酒酔漢。穿着這紫羅袍似酒布袋。
酒酔漢なり。この紫羅の袍の酒の布袋に似たるを穿着す。
わしは酒に酔いしれたおとこでありますから、役人になると紫のうすぎぬの上着を着ることになるが、それを着ると酒を漉すための布袋を思い出し、酒に酔った境地を連想して、やっぱりとろりと眠ってしまうでありましょう。
よって、わしは役人になることはできません。
ああ、わしはそもそも人間世界のことはあまりよく知らないのじゃ。
除睡人間総不知。直睡的陵遷谷変、石爛松枯、斗転星移。
睡を除きては人間をすべて知らず。ただに睡的に陵は遷り谷は変じ、石は爛れ松は枯れ、斗は転じ星は移るなり。
睡眠のほかは人間世界の事は何も知りませんのじゃ。眠っているうちに、丘は平地となり谷は山になり、石は腐り爛れ松も枯れ、北斗七星はぐるぐるめぐって星座もその位置を変えていく・・・。
歳差運動で恒星の位置が変わるまで眠っている、というのだ。なんと宇宙的な睡眠ではないだろうか。
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元・馬致遠の曲劇「陳摶高臥」(「陳摶さまはえらそうにごろ寝」)より。もちろん後世の創作です。
ちなみにわしも睡魔王さまの支配を受けているらしいんです。としか思えません。なので居眠りが毎日、ひどいんです。