平成27年10月5日(月)  目次へ  前回に戻る

空を飛ぶ竜。

大村智先生がノーベル医学生理学賞を受賞。

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世の中にはえらい人がいるもんです。

黄鶴楼で有名な長江沿岸の鄂州の地に、五代十国のころ、羅なにがしという男が住んでいたそうですが、

頭為双髻、年可四十余、于民家傭力、未嘗言語。

頭は双髻と為し、年四十余ばかりにして、民家に傭力せられ、いまだかつて言語せず。

四十いくつかという歳なのに、頭髪はコドモのように二つのまげを結い、ひとの家で雇われ仕事をしていたが、ひとと会話することはなかった。

ある日、太守さまが主唱して、同郡中の祀られざる霊魂を慰めるため、黄鶴楼を会場にして大祭が行われたことがあった。

その日、会場の楼内だけでなく、楼の周辺には多くのひとが集まって敬虔な祈りを捧げていたのだが、突然、

「こんなところで、なにをしている!」

于衆中叱責一人、令其速去。

衆中において一人を叱責し、それを速やかに去らしむるあり。

群衆の中で、誰かを一人を大きな声でしかりつけ、「速く出ていけ!」と命じるひとがあった。

ひとびとが振り向いてみると、しかりつけているのは、会話をするところを見たこともない羅某である。

叱りつけられた方は、ヒゲの長い、すらりとした色白の美丈夫であったが、

驚懼拝謝。

驚懼して拝謝す。

「あわわ、あなたがここにおられるとは露知らず・・・」

と驚き恐れた様子で、羅の方を何度も伏し拝み、許しを請うている。

羅はさらに怒鳴りつけた。

「速く出ていけと言っておるのじゃ!」

「ひ、平にお許しを」

そのひとはいま一度頭を地面に叩きつけると、

奔入楼下江中。

楼下の江中に奔入す。

楼の下から走り、長江の水中に「どぶん」と飛び込んで沈んでしまった。

民衆は大騒ぎになり、太守さまの耳にも達したので、太守さまは羅某を呼び寄せ、

「いったい何事があったのか」

と訊ねた。

羅某の答えて言うに、

所叱者、江中白竜也。潜欲害此城地。吾故叱之遣去。

叱るところのものは江中の白竜なり。ひそかにこの城地を害さんと欲す。吾ゆえにこれを叱りて去ら遣(し)むるなり。

「叱りつけておりましたのは、(人間の姿をとっておりましたが)江の中に棲む白い竜でございました。きゃつは、民衆の中に潜んで、この町に災害をもたらそうとたくらんでおりましたので、わしは叱りつけて、町から追い出したのでございます」

と。

「ほんとうか?」

「お疑いになるのですかな」

羅は振り向いて、江の方に向かってなにやら手招きのようなことをした。

すると、

俄而江上晦瞑、白竜即見。長数百丈、衆皆見之。

俄かにして江上晦瞑となり、白竜すなわち見(あら)わる。長数百丈、衆みなこれを見たり。

あっという間もなく、長江の上は真っ暗になり、波の間から白い竜が現れた。その体長数百メートル、そこにいたひとびとはみなそれを見たのである。

―――見たような気がした、だけだったのかも知れない。なぜなら、そのあとたちまちのうちにまわりは明るくなり、ひとびとがやっとお互いに顔を見合わせたときには、長江はすでに竜の姿など夢かまぼろしであったかのように穏やかに流れているばかりで、みなさっきのことが真実に起こったことであったかどうか、確かめ合うのも気恥ずかしくなったからである。

そのときにはもう羅某の姿はどこにも見えなかった。

以来、この地のひとびとは彼を「羅真人」(真理のひと、羅さま)と言い伝えるようになり、今、黄鶴楼の前には「羅真人の碑」が建てられている。

・・・そうです。

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五代・杜光庭「録異記」巻一より。

えらいひとは、ときどきこの人のように隠れていることがございます。でも、科学系のノーベル賞を受賞するひとは一般社会には無名なだけで、その世界ではすでにたいへん有名なひとであるのがふつうでございます。念のため。

 

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