平成27年10月4日(日)  目次へ  前回に戻る

タコやイカにはどんな悩みがあるのだろうか。

おいら肝冷童子。今日も一日楽しく暮らしまちた。明日も明後日も会社も学校も無いのでシアワセだなあ。

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シアワセな生活を詩にしてみます。

罷釣帰来不繋船。 釣りを罷めて帰り来たるも船を繋がず。

江村月落正堪眠。 江村に月は落ちてまさに眠るに堪えたり。

 日が暮れたので釣りをやめて村に帰ってきましたが、船は船着き場の杭に綱でつなぎもせずに陸に上がった。

 川べりのこの村、月はもう山の向こうに沈んでしまい、はやく眠ってしまいたいのだ。

眠いのはわかりますが、船をつながなくてもいいのですかな?

縦然一夜風吹去、 縦然(たとい)一夜の風の吹き去るも、

只在蘆花浅水辺。 ただ蘆花浅水の辺に在らんのみ。

「縦然」(しょうぜん)は「そいつの好きなようにさせておいても・・・」という趣旨で仮定の状況を設定する言葉です。我が国では「たとい・・・とも」という読み癖になっておりますのでそう読んでみた。

もしもこの夜のうちに風が吹いて船を流してしまったとしても、

どうせ明日の朝は、白い蘆の花の咲いている浅瀬にただよっているだけであろうから。

のどかな漁村の生活をうたった名品ですが、

「たとい一夜の風吹き去るも、ただ蘆花浅水の辺に在らん」

は、予想もしていなかったようなたいへんなことが起こった! ブタよりでかいタコが出た! ―――と思っても、結局はそれほど大したことにはならないものだ、という喩えに使われることがありますので、カラーマーカーでチェックしておこう。

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唐・司空曙「江村即事」(川べりの村で見たことそのまま)(「三体詩」所収。七言絶句の「虚接」※の実例なんだそうです)。

明日の職場でたいへんなことが予想されている人もいると思います。明日から会社に行くのを止めたという肝冷斎一号も、出勤していたらそうなったことでしょう。そんな人は、「でも明日の朝になったら船は浅瀬で発見されるのではないか・・・」と淡い期待を抱いて耐えてくだちゃいね。

そういえば、お昼に人が教えてくれたところでは、岡本全勝さんのHPで肝冷斎を取り上げてくれたらしいです。まだ見てないんでちゅが、どんなこと書いてくれてるのかちら。「肝冷斎HPは科挙試験の勉強に役に立ちまっせ〜」とか誉めてくれてるのかな。

いずれにいたしましても、

もし人のわれをほむるときくならば それにつけても用心をせよ (「西明寺殿御歌」)

と申します。用心した方がいいカモ。

「虚接」というのは絶句の第一句と第二句は事実を述べて、第三句は「虚」(心の思ったこと)で受ける、という技法を言うんだそうです。上の絶句は、言われてみればそうなっているカモ。

 

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