平成27年9月17日(木)  目次へ  前回に戻る

新キャラ「泣き竜」。厳しい社会に泣かされている。

本日は一人で圧倒的な物量の味噌ラーメンを食べたのでひどい体重増に。

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「三国志」「魏志」巻十九「陳思王・曹植伝」に曰く、

後漢最末期の建安二十四年(219)、曹仁が関羽の囲むところとなった。

あのおそろしい関羽さまです。

当時の国政の権柄を握っていた魏王・曹操さまは、

以植為南中郎将、行征虜将軍、欲遣救仁。

植を以て南中郎将・行征虜将軍と為して、仁を救わしめんとす。

三男坊の陳王・曹植を南方軍司令兼征討軍総司令官心得に任命して、曹仁の軍を救出に行かせようとした。

曹操さまは出発直前に、

呼有所勅戒。

呼びて勅戒するところ有り。

直接言っておきたいことがあって、曹植さまを呼び寄せた。

ところがこのとき、

植酔不能受命。

植、酔いて命を受くるあたわず。

やってきた曹植さまは酔っぱらっていて、曹操さまの教えを理解して回答することができなかった。

けしからんし、情けないので

於是悔而罷之。

ここにおいて悔いてこれを罷む。

このため、曹操さまは後悔され、任命を取りやめた。

ということである。 ・・・・@

曹植さまにとっては、イヤな自分に向いてないシゴトだったからではないですかね。わたしも今日は自分に向いていないなあ、というシゴトを仰せつかったときは「はあ?・・・はあ」と生返事にしておきましたからね。

しかるに「三国志」が註に引く「魏志春秋」という本には

植将行、太子飲焉、逼而酔之。

植、まさに行かんとするに、太子飲みて、逼りてこれに酔わしむ。

曹植さまが出発しようとしていたところ、太子の長男坊の曹丕さまが酒を持ってきて、はなむけと称してむりやりに飲ませて、酔わせていたのだ。

そのせいで、

王召植、植不能受王命。故王怒也。

王、植を召すに、植、王命を受くるあたわず。ゆえに王怒るなり。

おやじの曹操さまが曹植さまを呼び出されたときには、曹植さまは曹操さまの教えを聴けるような状態ではなかった。このために曹操さまはお怒りになられたのである。

と書かれている。曹植さまの失敗は、兄貴の曹丕さまの陰謀だったのだ。 ・・・・A

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ただしこういう見てきたようなやつはたいていウソだと思います。@もAも全部ウソでしょう。

ちなみに本日は夢野久作「近世快人伝」(文春学芸ライブラリー版)を読了。頭山満や自分のおやじの杉山茂丸など、博多の玄洋社系の人物たちの列伝である。おもしろかったです。特に「篠崎仁三郎伝」がおもしろかった。同伝によれば「博多っ子の資格」は

・・・懲役に行かずに飯食いよれあ、それで宜(え)え訳で・・・もっともこれが又、博多児の資格の中でも一番困難しい資格で御座います。ほかの資格は何でもない事で・・・

◇第一箇条が、十六歳にならぬ中に柳町の花魁を買うこと―――

◇第二箇条が、身代構わずに博奕を打つ事―――

◇第三箇条が、生命構わずに山笠(やま)を担ぐ事―――

◇第四箇条が、出会い放題に××する事―――(←伏字にされたらしい)

◇第五箇条が、死ぬまで鰒(ふく)を喰う事―――

だそうです。「懲役行かずに飯を食う」のは一番難しいらしいです。

本日はペルー人による熊谷6人殺し(そいつの兄貴は本国で17人〜25人以上殺しているらしい)が明らかになった。声の大きなやつらの声で耳が塞がっているうちに、いろいろ起こっているのだ。

 

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