タコの社会に適合せず苦しんでいるタコもいるだろう。
疲れたなあ・・。ニンゲン社会にはなかなか適合できないんです。
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唐の陳叔(※)は俗世間とは合わないところがあった。
※
「叔」と表記しましたが、実際は「王」ヘンに「叔」。「シュク」。原義は「大きさ八寸の半円形の玉」のことという。
茅山の山中に住んで、日常的に香を焚いて座禅をくみ、
妻子罕面。
妻子も罕にのみ面す。
女房子供とも滅多に顔を合わせることが無かった。
しばらく籠っていたお寺から家に帰るときに、寺僧に与えた詩に云う、
行若独輪車、 行くに独輪の車のごとければ、
常畏大道覆。 常に大道に覆らんことを畏る。
動き回っているときに一輪車のようなものであれば、
そのうち道の真ん中でひっくり返ってしまうのではないかと心配だ。
止若円底器、 止まりて円底の器のごとければ、
常恐他物触。 常に他物の触れんことを恐る。
静かにじっとしているときに丸底の器のようなものであれば、
そのうち何かが触ってころんとひっくりかえるのではないかと心配だ。
ああ。
行止既如此、 行くと止まるとすでにかくの如くんば、
安得不離俗。 いずくんぞ俗を離るるを得んや。
動き回るとき、静かにじっとしているとき、こんなふうであるならば、
(あなたがたは僧の姿をしていても)どうして世俗から離れることができようか。
さて、後に乾符年間(874〜879)に弟の陳Pが幕僚をしている徐州に、
棹小舟与相見。
小舟に棹してともに相見せんとす。
小舟に乗って会いに来たことがあった。
Pの上司で詩人の徐州太守・薛能は以前から叔のうわさを聞いてその人柄を尊敬していたので、
延入城。
延きて入城せしめんとす。
ぜひにと城壁の中の町に入ってもらって面会しようとした。
ところが、叔はとにかく
不可。
不可なり。
「できませんのじゃ」
というばかり。
「どうしてですか?」
と問うに、
某已有誓、不入公門矣。
某すでに誓い有りて、公門に入らざるなり。
「やつがれは以前より、お役所の門はくぐらない、という誓いを立てておりますので、太守さまのおられるお城の門には入りませぬのじゃ」
と言い張るのであった。
しかたないので
薛移舟赴之、話道永日。
薛、舟を移してこれに赴き、話道すること永日なり。
太守の薛も舟に乗って叔の舟に接舷し乗り移った。話し始めると話が合って、一日中いろんなことを話した。
薛能はぜひ町の宿屋に移ろうと勧めたが、叔はどうしても肯んじなかったので、薛能は夜になって一度自分の屋敷に引き上げた。
ところが、翌朝になると、叔の小舟の姿は見えない。
不宿而去。
宿せずして去れり。
夜のうちに去ってしまっていたのであった。
弟のPに訊いてみたが、
「いつもこのような感じなのです」
と答えるばかりだった。
・・・というぐらい、世俗に合わなかった人だったのである。
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宋・計有功「唐詩紀事」巻六十六より。
・・・などと寝床の上で平穏に読書しているが、今日は鬼怒川溢水して栃木・茨城はたいへんなことになっているんです。