旅の境涯にあります。
今日もすごい雨であった。今日は心身ともに一段と調子悪い。つらくて涙出ますねん。
・・・・・・・・・・・・・・・
悲しみの歌を、一曲歌いまーす。
悲歌可以当泣、 悲歌、以て泣くに当つべく、
遠望可以当帰。 遠望、以て帰るに当つべし。
悲しい歌をうたう。これを以て泣くことに代えよう。
遠くかなたを眺める。これを以て帰ることに代えよう。
思念故郷、 故郷を思念せば
鬱鬱纍纍。 鬱鬱として纍纍たり。
故郷を思うと、
ウツウツとして(憂いは)重なるばかり。
しかし、もはや
欲帰家無人、 家に帰らんとすれども人無く、
欲渡河無船。 河を渡らんとすれども船無し。
家に帰ろうと思うんだけど、もう故郷には知るひとはいない。
河を渡って故郷の方に行きたいんだけど、この渡し場には舟がない。
心思不能言、 心思言うあたわず、
腸中車輪転。 腸中に車輪転す。
心に思うことは言いつくせない。
ただはらわたの中を車輪がぐるぐる回るように、つらいのだ。
悲しくて、腸の中で車がぐるぐる回る―――という言い方については、
―――わが国の大和ことばを中心とした和歌的な美意識のなかでは、ほとんど絶対に現われえないイメージである・・・。
との指摘がある(松浦友久「中国名詩集(美の歳月)」(朝日文庫)p348)。言われてみればそのとおりです。
・・・・・・・・・・・・・
宋・郭茂倩編「楽府詩集」巻六十二所収「悲歌行」(かなしみのうた)。作者はまったく不明であるが、押韻の手法からみて、漢代の民歌であろうと推測される。二千年前のうたとは思えないですね。
・・・と歌っていたら、いろいろ悲しいのに、N○K来た。何度かチャイム鳴らしていたが、布団の中で震えているうちに今日のところはとりあえず帰ったようです。もう社会イヤだ。涙あふれる。