ニンゲンのみなさん、暑い中ごくろうさん。
関東地方、平地は昼間は暑かった・・・でしょうなあ。こちらは山中に隠棲したからいいけど。
PC新しくなってこの日録の更新もまた続きます。苦行の一種ですよ。しかし世の中には毎日毎日マジメな日記をつけていた人もいるんです。今日はほかの人の日記を盗み読んでみますよ。いっひっひ。
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壬寅年、十一月十六日の日記。
吾自戒喫煙、将一月、今差定矣。
吾、喫煙を戒しむよりまさに一月ならんとし、今やや定まれり。
わたしは「喫煙」を自らに禁じて、ちょうど一か月ほどになるが、やっと依存症の苦しみが落ち着いてきた。
「喫煙」と軽〜く書かれていますが、これはタバコではなくてアヘンの吸飲のことなので、依存症の克服はたいへんだったでしょう。
以後余有三戒。一戒喫煙、二戒妄言、三房闥不敬。一日三省、慎之、慎之。
以後、余に三戒有り。一に喫煙を戒しむ、二に妄言を戒しむ、三には「房闥不敬」(ぼうたつふけい)なり。一日三省、これを慎まん、これを慎まん。
今後ともわたしは三つのことを自分に禁じたい。一つはアヘンの吸飲である。二つはいい加減なことを言うことである。そして三つめが「房闥不敬」である。毎日三回は自分に言い聞かさなければならぬ。誓いを守るぞ、誓いを守るぞ。
「房闥不敬」とは何でしょうか?
一か月ぐらいあとの十二月十九日の日記を見ると、
・・・朝起きるのが遅かった。自分ながら情けない。それだけではなく、
飯後読史十葉。房闥又不敬。前誓有三戒、今忘之耶。
飯後、史を読むこと十葉。「房闥」また不敬。前に誓いで三戒有り、今これを忘るるか。
朝飯を食ったあと、歴史書を十ページぐらい読んだ。そのあと、「房闥不敬」をまたやってしまった! 先月、三つの誓いを立てたのに、わたしは忘れてしまったのであろうか。情けない。
というのです。
このひとはいったい何をしでかしてしまったのか。「房」はおそらく「閨房」(けいぼう)のことで、夫婦の部屋、さらにはそこで行われる夫婦の営みを指す。「闥」(たつ)はもともと門のこと。あるいは門を入って、玄関との間に目隠しに置かれている屏(へい)の所までの空間をいう言葉。ここでは家の中のそういう狭いところのことで、「閨房」と同じ場所のことを言っているのだと思われます。要するに「房闥不敬」は「夫婦の間での不謹慎なこと」を言っているらしいのですが、具体的には何なのか?
いろいろ想像するとハアハアしてくる人もいる、かもしれませんが、小島佑馬氏が「中華六十名家言行録」(吉川幸次郎編・昭和23年弘文堂)で指摘するところでは「日中行房」(昼間からエッチをすること)をいうんだそうです。なんだそれぐらいのことか、あんまりハアハアしないぜ、とガッカリするひとも多いかも知れません。ね。
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この日記は「曾文正公日記」。「わたし」というのは太平天国の乱を平らげ、チャイナ史上「最後の聖賢」ともいわれる曾国藩さまで、壬寅年は道光二十二年(1842)、当時彼は三十二歳。すでに進士に及第して翰林院に所属していたころですが、もういいオトナなのに、いろいろ悩んでいたんです。こういう自分を克服してすばらしいひとになったのです。このひとは確かに尊敬に値するような気がします。ね。