まぼろしの町をゆく。
しごとでかなり疲れました。へへへ、しかたねえ、この御禁制のお香を焚いて、幻覚でも見て寝るかな。へへへ。
(火をつける)
もくもくもく・・・・・・
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唐の玄宗皇帝のころ、懐玉法師という僧侶がいた。戒律を固く守り、
一食長坐、蚤虱恣生、惟一布衣。
一食して長坐し、蚤・虱をほしいままに生ぜしめて、ただ一布衣のみなり。
午前中に一食だけたべて、あとの時間はずっと座禅を組んでいた。からだにはノミ、シラミを好き放題に住まわせ、ただ一枚の布を身にまとっているだけであった。
彼はある日、
念弥陀仏五万口、通誦弥陀経三十万巻。
弥陀仏を念ずること五万口、弥陀経を通誦すること三十万巻となれり。
一日に口にナムアミダツと念仏すること五万回であった。また、この日、ついに「阿弥陀経」一巻を通して読むこと、通算で三十万回となった。
一秒に一回ナムアミダブツを唱えたとして、五万回は14時間ぐらいになります。「阿弥陀経」はそれほど長い経典ではありませんが、それでも般若心経の十倍ぐらいはあるので、これを三十万回というのは、一回十分として5万時間、2000日以上ぶっ通しで唱えていたことになります。すごい精力である。(何かもっと役に立つ大切なことに使えばいいのに・・・などと思ってはいけませんぞ。念仏ほど大切なことは無いのです)
この日の翌日の朝、
俄見西方聖像、数若恒沙、有一人ー白銀台、従窗而入。
俄に西方の聖像、数恒沙(ごうしゃ)のごときを見、一人の白銀台をー(ささ)げて窗より入らんとする有り。
突然、西の方から、恒河のほとりの砂の数ほど(無数の)聖人たちの像が現われ、そのうちの一人が白銀の輦台を捧げて窗から入ろうとした。
輦台はひとが担ぐ輿の一種。
懐玉法師は言った。
我合得金台、銀台却出。
我まさに金台を得んとす、銀台は却し出ださん。
「わしはもうすぐ黄金の輦台で迎えに来てもらえるはず。銀の輦台はお返し申す」
と。
その後もさらに修行を続けた。
するとあるとき、空から声が聞こえた。
頭上已見光暈矣。請加趺結弥陀印。
頭上すでに光暈を見わせり。請う、趺を加え弥陀印を結べ。
「あたまの上にはもう光のかさが出現しておる。足は趺坐(特殊な胡坐)し、手には阿弥陀仏の手印を現わせ」
その声とともに、
仏光充室。
仏光、室に充つ。
ホトケの放つ光が、部屋中に充ち満ちた。
懐玉法師は
莫触此光。
この光に触るるなかれ。
「この光に触れてはいけませんぞ」
と言いながら、ひとびとを部屋から退出させた。
いまだ悟りに至っていない常人には、あまりに危険な光だったのであろう。
数日後、部屋の外から弟子があわてて入って来て、言う、
毫光現、聖衆満空。
毫光現じ、聖衆空に満てり。
「ほとけさまの額の白い巻き毛(これを「白毫」(びゃくごう)という)から照射される霊的な光が現われ、空には聖なる方々が満ち満ちておられます」
懐玉法師は「そうか」と頷いて、曰く、
若聞異香、我報将尽。
もし異香を聞かば、我が報まさに尽きなん。
「これに加えてもし不思議な香りが漂ってきたら、わしの前世の報いとしての生は終わりである」
と言っているうちに、
須臾香気盈空、海衆遍満、見阿彌陀仏、観音勢至身金色、共御金剛台、来迎玉。
須臾にして香気空に盈ち、海衆遍満して、阿弥陀仏、観音・勢至の身金色に、共に金剛台を御して、玉を来たり迎う。
あっというまに不思議な香気があたりの空間に充満しはじめた。海のような多くの聖人たちが満ち満ち、アミダ仏とその脇侍の観音菩薩・勢至菩薩はみな、ダイヤモンドで誂えられた輦台をささげて進み、懐玉を迎えにやってきたのである。
「ああ、来迎でござる、御来迎でござるぞ!」
ひとびとは聖人たちのすがたに目を瞠った。ややしばらくして懐玉法師の方を見てみると、懐玉法師はすでににやにやと
含笑而終。
笑を含みて終わる。
わらいを浮かべて死んでいた。
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元・無名氏「神僧伝」巻七より。
この世のことの方が幻覚なんでしょうね。このひとたち的には。