今日で夏は終わりですが、まだ昼間は暑い。夜もかなり暑い。
今週はニンゲンとして心身ともにバテた。しかも明日は炎天下に出かけねばならない。
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ほな、暑さも吹っ飛ぶ寒いうた、一曲歌いますわ。
隴頭流水、 隴頭の流水、
流離山下。 山下を流離す。
念吾一身、 念うに吾が一身、
飄然曠野。 飄然として曠野にあり。
隴山のほとりを流れ行く水、
山のふもとを流離(さま)ようように流れて行く。
思うに、このわしの身を
風にふかれるように荒れ野をさまようているわけだ。
ちなみに「隴山」というのは長安西北の辺境に近い地方にある山です。
朝発欣城、 あしたに欣城を発して、
暮宿隴頭。 暮れに隴頭に宿る。
寒不能語、 寒くして語るあたわず、
舌巻入喉。 舌は巻かれて喉に入る。
朝、欣城のまちを出て、
夕暮れに隴山のふもとに宿泊する。
あまりに寒いのでコトバも発することができない。
舌は巻かれてのどの奥に引っ込んだままになる。
隴頭流水、 隴頭の流水、
鳴声幽咽。 鳴声、幽咽す。
遥望秦川、 遥かに秦川を望めば、
心肝断絶。 心肝断絶す。
隴山のほとりを流れ行く水、
流れの音はかすかにむせび泣くようだ。
遠く東のかた、長安の平原を望めば、
(なお遥かな旅路を思うて、おいらの)心臓と肝臓は引き千切られるようだ。
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ゲンダイ人が造ったのかと思うような俗っぽい?旅情のうたですが、実は1500年前、六世紀ごろの無名氏の「隴頭歌辞」(宋・郭茂倩「楽府詩集」巻二十五所収)という歌の詞です。「無名氏」(よみびと知らず)というのは決して一人とは限りませんから、誰かが作った一曲目にいろんなひとが二曲目・三曲目と替え歌を重ねて作られたのだと思います。うたは通俗であればあるほど長い期間、広い範囲においてひとの心を打つ、ということの証左のような歌辞ではございますまいか。
真夏に冬の歌で少しは涼しくなっていただけましたでしょうか。隴山のあたりは内陸部なのですごく寒いらしいのでございます。