唯一「楽がしたい」という欲望にだけは積極的。
うつ。なにごともやる気にならない。
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なにかをしよう、という欲望が無いのは、悪いことではないのかも知れない。
儒戒声色貨利。
儒は声・色・貨・利を戒しむ。
わたしども儒学の方では、音楽と女色、さらに財貨と利益を求めるようとすることを戒めております。
釈戒色声香味。
釈は色・声・香・味を戒しむ。
仏教の方では、女色、音楽、こころよい香りを求めること、美味を求めることを戒めておられます。
また、
道戒酒色財気。
道は酒・色・財・気を戒しむ。
道教の方では、飲酒、女色、財産と香りある気に耽ることを戒めておられます。
ちょっと出入りはありますが、だいたいのところ、
總帰之無欲。此三氏所同也。
総じてこれを無欲に帰す。これ三氏の同じきところなり。
すべて無欲であることを求めていまして、儒・仏・道の三つの教え、同じようなことを戒めているといえましょう。
「無欲」はすばらしい。それなのに、
儒衣儒冠而多欲、怎笑得釈道。
儒衣儒冠にして多欲なれば、怎(いかで)か釈・道を笑い得ん。
儒者の服、儒者の冠をつけた儒学者でありながら、女や美味や香や財産や利益にうつつを抜かしているようなことであれば、どうして仏教や道教は支配者の学問である儒学から見れば異端である、などと優越感に浸っておられようか。
「無欲」がいいんです。
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明・呂坤「呻吟語」談道篇より。
何も積極的にやる気力が無いことから、とりあえずここに出てくる諸欲についていえばほとんど無欲であるので(もちろん女色も、今では)、今は道徳的にはよい状態である。