平成27年6月9日(火)  目次へ  前回に戻る

湖に浮かんで遠く消えていけば、そんなことも気にならなくなるのだが。

今日は中華食った。また体重増してきた。おれはダメだ、ダメだ、ダメなのだ・・・。

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実際の「自分」はダメで発言など許されないようなヤツですが、そいつと「肝冷斎」は違う人格だと考えまして、気にせずに今日も更新します。

宋の大儒、程明道・程伊川の兄弟があるお寺に泊まったんだそうです。

兄の明道先生は

和易、人皆親近。

和にして易(い)、人みな親近す。

物腰柔らかく穏やかな人柄なので、ひとびとはみな親しみ近づこうとする。

ひとでしたが、一方、

伊川厳重、人不敢近也。

伊川は厳重なれば人あえて近づかざるなり。

弟の伊川先生はおごそかで重々しい雰囲気であったから、ひとびとは彼に近づこうとしなかった。

このときも、

明道入門而右、従者皆随之。伊川入門而左、独行。

明道は門に入りて右し、従者みなこれに随う。伊川は門に入りて左し、独り行く。

アニキの明道先生は寺の門をくぐると右側を歩いて行った。おつきの者たちはその後ろをぞろぞろとついていく。伊川先生は門をくぐって左側を歩いたが、その後ろにつきしたがう者は一人もいなかった。

お堂に昇って座を占めてから伊川云う、

此是頤不及家兄処。

これ、頤(い)の家兄に及ばざるところなり。

「頤」は伊川先生の本名。明道先生の方は「」(こう)といいます。

「このへんが、わたしの兄上に勝てないところですね・・・」

隣の席では明道先生がにこにこしているばかりであった。

―――これは当時程氏兄弟の弟子であった王澤の記録しているところである。

伊川先生の晩年の弟子であった和靖先生・尹焞(いんとん)がこれまた晩年に

亦嘗聞先生言之。

またかつて先生のこれを言うを聞けり。

「わしもかつて伊川先生がこの話をしているのを聞いたことがある」

と言っていたそうで、伊川先生的には、よっぽど若いときから思うところがあったのでありましょう。

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「伊洛淵源録」巻四より。

アニキの方が人格者だった、ので話題にできますが、逆だとアニキの悪口か弟のよいしょかどちらかになってしまいますね。ちなみに本日、弟に連帯保証人を依頼しました。ありがたいことですわ。よいしょ。

 

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