明日からは一日中、海でも見ていようか。
月曜日終わった。わずか一日の平日だけで、疲れまちたね。
明日からはサボってちまおうかな。おいらが居なくても、あまり誰も気にしないような気がするんで・・・。
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東晋の名宰相・謝安がまだ若かったころのことだそうでちゅが、友人たちと会稽の東の海に船を浮かべて遊んだことがあったのだそうでございまちゅ。
海上で突然
風起浪涌。
風起こり、波涌く。
風が吹きはじめ、波が逆巻きはじめた。
友人たちは怖れ、「はやく陸地に戻ろう」と言ったが、謝安は
神情方王、吟嘯不言。
神情まさに王(さかん)にして、吟嘯して言わず。
こころうきうきというふうで、歌をうたったり口笛を吹いたりして、文句の一つも言わない。
舟人以公貌閑意悦、猶去不止。
舟人、公の貌の閑にして意の悦べるを以て、なお去(ゆ)きて止まらず。
船乗りたちも、謝安さまのお顔がゆったりとして、心がうきうきしているのを見て、船を止めることなく、どんどん沖合に乗り出していくのであった。
やがて―――
既風転急浪猛、諸人皆諠動不坐。
既にして風うたた急にして浪猛く、諸人みな諠動して坐せずなりぬ。
しばらくしたら、風が突然強まり、波も猛烈になってきて、友人たちはみな大騒ぎして座っていられなくなった。
すると、謝安は
徐云、如此将無帰。
おもむろに云う、「かくのごとければ、なんぞ帰る無からんや」と。
ゆっくりと言った。「こうなったら、帰らないわけにはいくまいな」
「得たりや、おう」
衆人即承響而回。
衆人すなわち響きを承けて回る。
船乗りたちは、まるで音に対する反響のように、たちまちその指示を承けて船先を回らし、帰港した。
そして、
審其量足以鎮安朝野。
その量を審らかにするに、以て朝野を鎮安するに足らん。
「あの人の器量をみるに、いずれ朝廷も在野も安心させ鎮静化させるような方におなりになるだろうよ」
と語り合ったという。
そのとおり、謝安は後に、桓温のクーデタの時、秦の南攻の時、と二度にわたって東晋の社稷を守り切ったのであった。
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と、劉宋の劉義慶編「世説新語」巻八に書いてあるんです。
が、おいらはこんなエラいひとではなく、この謝安が
見之乃不使人厭、然出戸去、不復使人思。
これを見ればすなわち人をして厭わしめず、しかるに戸を出でて去れば、また人をして思わしめず。
「あいつを見ると、少しもイヤな気がしないのだ。しかし、あいつがドアから出て行ってしまうと、今度はいなくても何も気にならないのだ」
と評した(「世説新語」巻十)王坦之という幕僚のように、「いなくても何も気にならない」修行を積んでいますので。