いいもんばかり食ってると、足がムズムズ→足がシクシク→痛風に。
今日は土曜日。生き返りました。昼はしうまい弁当も食った。わははは、と一週間ぶりに笑いも出る。しかし明後日はもう月曜。(T_T)
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「周易」は「陰」と「陽」の二者の対立を基本構造に、2の6乗=64の「卦」を成し、各卦ごとに6の「爻」、合わせて384の爻によって森羅万象の徴とした占法でありますが、これを「一」「二」「三」の三者の変化を基本構造にして、3の4乗=81の「首」を成して、各首ごとに9の「賛」、合せて729の賛によって、同様にこの世に起こりうることを予想しようとしたのが、漢の楊雄が考案した「太玄」という占法であります。宋の大儒・司馬光がテキストを整理し注を集めて「太玄集注」を作り、これが「道蔵」(道教の経典類を収集した全集)に入れられて、「易」ほどではないのですがチャイナでは重んじられてまいりました。
確かに「易」の占断の根拠となる卦辞・爻辞は、古代におけるその成立までにいろんな集団の手が加わっているものと見えて、たいへん不統一で、しかもわかりづらい。
例えば「咸」卦の一番下の爻の爻辞は
咸其拇。
その拇に咸す。
おまえの(足の)おやゆびがムズムズしてきたぞ。
と、これだけなんです。
解釈によって、「動こうとしているのだが、まだ足の親指がムズムズしているだけだから大きな力にはなっていない」みたいな状態をいっているんだ、といわれますが・・・。
これに対し「太玄」は世界帝国・漢の時代、紀元前一世紀の成立で、楊雄という一人のひとががんばって作ったもので、易にくらべると364対729で約2倍の詳細情報になっていますから、もうちょっと統一的で理解しやすい。
「ほんとか?」
と訊かれると感覚的なものなので困ってしまいますが、例えば
上から3222の「首」を「夢」首と申します。この「首」が出たときは、
陰征南、陽征北。物失明貞、莫不夢夢。
陰南に征(ゆ)き、陽は北に征く。物、明貞を失い、夢夢(ぼうぼう)たらざるなし。
北にあるべき陰の気が南に進出し、南の陽気が北に進出する。万物は明朗な正しさを失って、みなぼんやりとしている状態じゃ。
以下、さらに詳しくその都度の状況を示した「賛」。
初一 ぼんやりとした腹(「夢腹」)で天をちらりと見たが、その境目をはっきり見ていない。
次二 はっきりした腹(「明腹」)で天をちらりと見たとき、その根本が目に入った。
次三 師或導射、豚其墩。
師、あるいは射を導かんとす、その墩を遯(のが)る。
(盲目の音楽家である)師が、弓矢の指導をする。(はっきりしたことは教えられない。)射的になったものは逃げられるだろう。
次四 鑑貞不迷、于人収資。
鑑(かがみ)貞(ただ)しくして迷わず、人において収資す。
鏡がしっかりしているので迷うことはない。しっかりした人を採用できる。
次五 倍明仮光、触蒙昏。
明を倍(ま)すも光に反(そむ)き、蒙昏に触る。
灯りは増えたのだが光に背を向け、暗い方に進んでいっているぞ。
次六 夢夢之離、不宜熒且脆。
夢夢の離、熒かつ脆なるべからず。
ぼんやりとしているときの灯りは、小さな光や弱弱しい光ではダメなのだが。
次七 夢好明其所悪。
夢はよくその悪(にく)むところを明らかにす。
夢の中で、きらいなもの、いやなこと、が明確になることがよくある。
次八 昏辰利于月。小貞未有及星。
昏辰は月に利す。小貞いまだ星に及ぶ有らざるなり。
暗い夜空では月のおかげで助かる。いくら少しばかりの正しさを守っていても、(暗空が)星にかなうわけがない。
上九 時嗟嗟、不獲其嘉。男子折笄、婦人易珈。
時に磋嗟たり、その嘉を得ず。男子は笄(こうがい)を折り、婦人は珈(か)を易えん。
この時は歎きの声をあげるばかりで、いいことは無い。おとこは櫛を折って(倒れ)、おんなは玉飾りを取り換えることになろう。
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やっぱり、
「おまえが教えさせてくれというから教えさせてやっているんだ、短くはっきりわかりやすくプレゼンしろ」
というひとに説明してもよろこんではもらえそうにはありません。