予告記事的に
お久ぶりでちゅ、真・肝冷斎でちゅ。休日でちゅので、昨日まで隅っこにじっとして、会社には代わりを行かせていたが、今日は表に出てまいりました。
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唐・玄宗の開元年間、西域から「真紅の真珠」が献上されてまいりました。
これは宮中の秘宝として試明堂という建物に安置せられた。
開元二十六年(738)の進士・崔曙がこのことをうたいて曰く(「試明堂火珠」(試明堂の火珠のうた)、
正位開重屋、 位を正して重屋を開き、
中天出火珠。 中天より火珠を出だす。
世界秩序に従って幾重にも囲まれた(宮中の)建物の扉を開いたところ、
はるか西方の中天竺より、「火の珠」が産出され(て献上され)てまいりました。
おりしも昨夜は満月で、赤い月が空に煌煌としてあったが、
夜来双月合、 夜来、双月合し、
曙後一星孤。 曙の後、一星孤なり。
昨夜のうちに二つの月(空の月と地上の珠)とが合体してしまったらしく、
あけぼのより後には、(地上の珠の方の)一つの星だけがのこされていた。
天浄光難滅、 天の浄にして光は滅しがたく、
雲生望欲無。 雲の生ずること、望むらくは無からんことを。
清浄な天上世界から下ってきたのだ、この(星の)光は長く消えることはないだろう。
雲が湧いてそれを曇らせるようなことも、できれば無いといいのだが・・・。
まあいいや。
現在、我が大唐帝国は上に名君・玄宗皇帝をいただき、花の咲くような盛りのときを迎えようとしている。
還将聖明代、 また聖明の代を将き、
国宝在京都。 国の宝は京都にあり。
古代の聖天子の時代を引っ張ってこようとして、
一国の名宝がいま、みやこにやってきたのである。
突然、「そうだ、京都に行こう」国宝展でも観にいってこよう・・・かな、と思ってしまいましたが、今週末は山梨に用事があるのでそちらに出かけてきます。
特に、「夜来、双月合し、曙の後、一星孤なり」の両句、天体と地上の美を交錯させて当時朝廷の内外で喧伝され、一躍作者の詩名を高からしめたのだが、この詩を読み、その作者の名を聞いて、腕組みするひとも多くあった。
「曙」(あけぼの)は、作者・崔曙の本名である。父や君主ではなく自分の名の使用を避ける必要は絶対的にはないのだが、それでも
「なぜわざわざ自分の名を使ったのだろう?」
と識者たちは首をひねったのである。(他人がこの句を誦すると、自分の本名を呼ばれてしまうことになり、それは伝統チャイナでは屈辱、不吉なことであった)
ところが、崔曙は
明年卒。
明年卒す。
翌年死んでしまった。
そして、
惟一女名星星。
これ一女、名、星星あるのみ。
たった一人、「星星」(しんしん)ちゃん、というムスメだけが遺された。
そこでひとびとは、
始悟其讖也。
はじめてその讖なるを悟れり。
ようやく、この詩句が「予言」になっていたのに気づいたのだ。
「曙の後、一星孤なり」
とは、
―――わたし(曙)の死んだ後、ただひとり「星」が遺されるのだ。
ということを、意識的にか無意識下にか、予言していたのである、と。
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宋・計有功「唐詩紀事」巻二十による(もと「唐本事詩」に記述せらるという)。ちなみにこの故事から親の死後、未婚の娘が遺されることを「曙後星孤」(夜が明けて、たった一つ星がのこされた)と申します。
そのように読むと、その次の
天の浄にして光は滅しがたく、雲の生ずること、望むらくは無からんことを。
という句も、去りゆく父の遺すことばとして意味深く読めてちまいまちゅね。
ようし、じゃあ、おいらも意識的には無意識化にか、予言しておきます。
・・・我が子よわが智慧を聞け、爾の耳を我が聡明に傾けよ。(旧約聖書「箴言」)
肝冷斎は近いうちにシゴトから解放されるであろう。